忍者ブログ
   ただよいながら…
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  
     

「こんな思い込みを持っていたと、本当に気がつけば、その思い込みはもはや手放している。」
 
 
ある本の一文を少々言い換えた言葉。

 
 
「自分に存在価値がない →
 
ずーっとそう思い込んでいて、何をするのも自分の「存在価値」を確認することが前提にあった。
 
確かにそう気がついた。
そしていつまでもぐちぐち考え続ける自分にうんざりしてキレた。→
 
 
それでもまだ。

自分でも本当に呆れるほどに、まだ、何とも言えないしこりが残ってて、
他人の何気ない行動に思考や感情がアップダウンしていた。
 
その感情の行き着く先は、いつも

「存在価値がない」

 
気がついたはずなのに。
手放したはずなのに。
 
どうしてだろう。
いつまで被害者意識満載で生きるんだろう。
もうメンドクサイ。

なのに、私のなかの私はメンドクサイですましてくれない。
 
 
その先にあるもっと根深い思いは、思い込みは何なんだろう。
 
 
泣いて、寝て。
目が覚めて、気持ちを落ち着かせて。

いつも書くノートに思いつくままに書き連ねた。
 
 
ある一つの思いにたどり着いた。

 
 
 
「1人になりたくない」
 
 
 
 
半年以上前、自分がこのままだと本当に心の病気になってしまう。
(ていうか身体は完全に悲鳴をあげていたから、半分くらいはもう心の病だった)
 
どうにかしないといけない。
どうしたらいいのかわからない。
 
そんな時、心配した友達が会いに来てくれて、簡単な認知行動療法をした。
それの最後に行き着いたところも、同じだったことを思い出した。

 
「1人になりたくない」
 
 
ようやく、戻ってきたんだ。
戻ってこれたというべきか?
 
 
ここだった。
ずーっとここだった。
 
 
心の重石が少し動いた。
 
その重石が動いて見えたものがあった。


まばゆい光・・・かと思いきや。。。

 
 
「1人になりたくない」と思っているのに、

1人になることに不安で寂しくて怯えているのに。
 
 
 
 
「1人じゃないとダメ」
 
「1人で生きていかないといけない」
 
 
 
 
見つけてホッとしたと同時に、やっかいな思い込みが新たに出現した。

 
ノートに書いた言葉。
 
 
「あーもうめんどくさいなぁ・・・」


つづく。ハズ。

(ちなみに備忘録なのでリアルタイムじゃなくて先週くらいの話)
PR
  
     
気分や感情に波があるのは当たり前なんだけど、
どうもこれまでの傾向を見ると、満月の2~3日前から満月にかけて、
一瞬にして気分がMAXまで落ち込みやすい模様。

まぁそう思ってるからそうなるのかもしれないし、満月のエネルギーとか
おかしなこと言い出して、どん引きする人もいるかもしれないが、
とにかく満月のせいだということにする。


「驚くほど穏やかだ→」とか言いながら、気分が一気に下がった25日の満月。

その2,3日前からも、せっかく霧が晴れたかと思ってたのに、どうもスッキリしない。

他人の言動がいちいち気に障るし、何かというと否定的な気分になる。
気持ちを切り替えようとしても、何かに囚われてモヤモヤする。

ノートに書き出してみても、色々なblogを読んでも、ワークをしてみても、
朝日を浴びても、何度深呼吸をしても、身体を動かしても、すぐにまた、
ネガティブな世界に入っていこうとする。

ネガティブになってもいいいんだーって思っても、
「そんなのダメだ。」「なっていいわけない。」って思って、
でも気持ちが切り替えれなくて、どうしていいのか分からない。

土曜日も、友達と遊んでいっぱいおしゃべりして、いっぱい笑って、
友達の子どもに沢山癒されて、とっても楽しかった。

その後はマッサージ行って、身体もスッキリ。

したはずなのに。
1人になって、途端に落ち込む。

頭で考えきれなくなって、ノートにつらつら書き出した。

どうして、私は楽しもうとしないの?出来ないの?
どうして、私は前に進めないの?
どうして、私はただ、無条件に愛せないの?
どうして、私は自分の価値を信じられないの?
どうして、私は幸せを感じられないの?
どうして、私は自分に、エゴにこんなに振り回されるの?

どうして、どうして。
ぐるぐるぐるぐる・・・・。
涙はボロボロ。


・・・


突然。

それは本当に突然だった。


キレた。


誰が?


-私が。


誰に?


-私に。


突然、以前母親に感じた時のような(→)、ものすごい怒りがこみ上げた。
気がついたら、泣きながら、ノートに書き殴ってた。

以下、一部抜粋。
自己満足のための記録なので、長いし意味不明だし、いよいよ頭がおかしくなったんだと思ってください。(あまりにも汚すぎる言葉は修正してマス。。。)

いい加減にして。
馬鹿なんじゃないの?

私が私をいじめてどうするのよ?
何でそうやっていつも他人に、周りに振り回されるのよ?
他人じゃないでしょう?自分でしょう。

あんた(私)が勝手に恐れて、不足を感じて、すぐに「でも」とか「だって」とか
言い訳しているからでしょう。

もう限界。

他人にすぐ軸をうつすあんた(私)も、
すぐに周りのせいにするあんた(私)も、
何度言っても、今ある幸せを信じられないあんた(私)も、
何度言っても、自分を好きになろうとしないあんた(私)も、
何度行っても、自分を信じようとしないあんた(私)も、

もう限界。

いらない。
こんな私はもういらない。

何が嫌なの?
何にこだわっているの?
何を恐れてるの?

いつまでも、優しい言葉をかけてもらえるなんて思わないで。
いつまでも、「頑張ったね。」とか言ってもらえるって思わないで。

いつまでも、グチグチしていないで。
いつまでも、闇に目を向けていないで。
ちゃんと光をみて。

いつまでも、拗ねるのはやめなさい。
いつまでも、被害者ぶるのはやめなさい。
いつまでも、不足をみるのはやめなさい。
いつまでも、過去をみるのはやめなさい。
いつまでも、未来を心配するのはやめなさい。

泣いてもいい。怒ってもいい。不安になってもいい。傷ついたって思ってもいい。
私、可哀想って思ってもいい。相手のことを憎くなって殺したくなってもいい。

だけど、それにいつまでもしがみつくのはやめなさい。
いつまでもそこに甘えるのはやめなさい。

そこにいつまでもい続けたって意味がない。何にもない。
ただ、暗闇に、悲しみや怒りの淵に沈みこんでいくだけ。

何が楽しいの?

馬鹿なんじゃないの?

結局いろんなことが怖くなって余計にビクビクするだけじゃない。

いつまで、こんな馬鹿げたことを続けるの。

もっと自分を信じなさい。
もっと愛を素直に感じなさい。
もっと自分にあるものを感じなさい。喜びなさい。
もっと自分を楽しみなさい。

いい加減、腹をくくりなさい。
小さなことに、いちいち振り回されるな。

誰かが、何かが、助けてくれるなんて思わないの。
私は、私しか助けられないの。
私は、私しか満たしてあげられないの。
私は、私しか幸せにしてあげられないの。

前に進みなさい。
抵抗してももう何もない。
これ以上、苦しむことを選択するのは、辞めなさい。

変わりなさい。
楽になりなさい。



私が、私にキレた・・・。
ぶちギレてた。本気で怒ってた。

いつまでも、外に求める私に。
いつまでも、外に期待する私に。
いつまでも、何かが救ってくれると思っていることに。
いつまでも、闇に目を向ける自分に。
いつまでも、「ない」と不足と不安を感じることに。
いつまでも、自分を認めない自分に。
変わりたいとかいながら、変わらないで済むことを期待する自分に。
周りが何かしてくれる、変わってくれるって思う自分に。
いつまでも、恐れている自分に。
いつまでも、甘えている自分に。
いつまでも、自分の足で立とうとしない自分に。
いつまでも、相手の反応をビクビク伺っている自分に。
どうして、こんなに頑張っているのに何も変わらないのって、駄々をこねて泣く自分に。
自分で自分を鎖で縛って身動き取れなくしている自分に。

私はもう、イライラして、うんざりして、怒っていた。

そこに居続けることを望んでいるのは、おまえ(私)じゃないかと。
何もせず、ただ愛して欲しいと叫んでいるだけじゃないかと。


何かにとり憑かれたような時間だった。

書き終わると、涙はすっかり乾いて、
すっきりしたような、放心したような、不思議な感覚だった。


何だかねぇ。。
私って、大変だねぇ。。


いやぁ・・・それにしてもひどい罵声だったなぁ。
何度、バカじゃないのって言われただろう。
何度、いっぺん死んできたら?って言われただろう。

オクチには気をつけましょう。。。



  
     
母への怒りを自覚して、独り気が狂いそうになるまで怒って、その気持ちを、自分を受け止めてから2週間。


驚くほど穏やかだ。


かつて。

朝目覚めるたびに不安で苦しくて、
胸やみぞおちが息苦しくてドキドキしていた。

見えそうで見えない光に、毎日もがいてた。


あの頃の自分に教えてあげたい。褒めてあげたい。


よく頑張ったと。
よく耐えたと。
よく諦めなかったと。


別に日常は、仕事が落ち着いてめでたいけれど、収入激減してさてどうしようかってくらいで、何も変わらない。


正直、光でもさして、ものすごい奇跡でも起きてくれるのかと思ったけど、残念ながらそれはただの妄想だった。


笑い転げるような毎日でもない。

かかってくる照会電話相手に、何度も殺意を抱く。

気分が下がっている日は、同じところを何度も何度もぐるぐる悩む。

落ち込むし、苦しくなる。


でも。

それでも、日々がとても穏やかで、幸せだと。


だから、大丈夫だと。
そのまま進んでいけば、きっと大丈夫だと。

あの頃の自分を励ましたい。


ようやく、楽しいとか、嬉しいとか、幸せだって感じることが出来るようになれると。

楽しいってことがなんなのか。
嬉しいってことがなんなのか。
幸せだって思うことがなんなのか。

今まで雪のように一瞬で消えていっていた感情が、
必ず小さな罪悪感が付いてきていた感情が、

少しずつ、純粋に確かなものとして感じることが出来るようになってくると。


誰かを好きって思っていいんだ。
何かを好きって思っていいんだ。

逆に、好きじゃないって思ってもいいんだ。
嫌いだって、ムカつくって思ってもいいんだ。


いい感情も、嫌な感情も、どっちも持っていい。

どっちも本当。


それでいい。


  
     
朝、blogにした「存在価値→」がないでもそうだし、呆れるまでの自己肯定感の欠如、自己卑下、無意味な自己顕示欲、沢山の自らを追い詰める思い込み。

その時その時に自分を守るために作り上げてきた思い込みが、もはや不要となった今でも残り続け、昇華されず、習慣となり性格となった。


昇華せず自分の中に貯め続け、「思い込み」の枠の中で生きることを選択し続けたのは、私だった。


しかし、その思い込みを作るきっかけは、思い込みがどんどん強化された原因は、


間違いなく、私の母親だ。


母の日に。
あえて、私は自分のために、自己満足の記録を残すことにした。

※果てしなく長く、ただの自己満足で、読んでいても気分がいいものではないので、母親が大好きな人とか母親に無条件に愛されている人は見ないほうがいいです。気分を害するだけです。


これを読む誰かにどれだけ非難されても、
どれだけ呆れられても、
誰かを失うことになっても、
天罰が下されたとしても、


それでも、私の母親はおかしいと思う。
どうしようもなく許せなくて、どうしようも憎くて、悲しくて、



もはや、怒りを通り越して消えて欲しい。



そう思うことは半端ない罪悪感だった。

私は何てひどい、最低な人間なんだろう。
沢山のことをしてくれたはずなのに。
たった一人の母親なのに。
どうして素直に感謝できないんだろう。
どうして素直にお母さん、大好きと思えないんだろう。


私は母親に愛されなかったのか?

それは何度も考えた。
そう思ったこともあった。

やりたかったバレエを習わせてくれた。
毎日作ってくれるご飯はいつも美味しかった。
お弁当もいつも彩り豊かに作ってくれた。
誕生日やクリスマスはプレゼントを買ってくれたりお祝いしてくれた。
必要なものは必要な分だけちゃんと与えてくれた。
叩かれたり、無視されたり、突然怒られたり、ひどいことを言われたことも
あったけど、世にあるような虐待をされた訳でない。

母親は母親の気持ちややり方で、私を愛していたのだと思う。

私は愛されてなかった訳ではない。

ただ、母親の愛し方が、私が求めている形ではなかった。
私を自由に、無条件に認めてくれるものではなかっただけで、
母親の愛は確かにあった。


だから、

「それでも私は母が大切だし。」
「普段は私のために色々してくれているんだし。」
「たった一人の母親なんだし。」
「もっと大切にしなきゃ。」
「感謝しなきゃ。」

と思ってた。

なのに、母に怒りや嫌悪感を感じる。
時には殺意すら感じる。


自分はおかしいんだと思ってた。

そう思うたびに罪悪感に押しつぶされた。
罪悪感がさらに私を責めて、存在価値がないことを裏付けてくれた。


母親のことが大好きで、愛している自分は、確かにいる。
だからこそ、母親を許せない、大嫌いだと思う自分が許せなかった。


でも、もう降参。

私が勝手に母親に振り回されているんだけど、
私が勝手に母親に怒っているんだけど、
私が勝手に母親を嫌っているんだけど、


私は、母親が嫌いで、許せなくて、時に死んで欲しいとすら思っている。


それでもいいことにした。

それはGWの最終日。

「父→」に思いを馳せた後、ホットヨガ&岩盤浴に行くことにした。

ホットヨガですっきりして、岩盤浴の前に休憩していた。
頭の中がまだぐるぐるしていて、休みがてらノートに母への思いを書き連ねていた。

その時、表現しがたいくらいの怒りがこみ上げた。
怒りのあまりに泣き叫びそうで、そうは言ってもホットヨガでノーメイク汗だくで、
それぞれがダラ~っと休んでる公共の場で泣き叫ぶわけにも行かず。

とうとう私は気が狂ったんだ・・・って思いながら、
必死に叫びそうになるのを抑えて、気がついたらノートは真っ黒。

絶対、傍からみたらヤバイ人だっただろうな・・・。


でも、ものすごくスッキリした。

ああ、別に実際母親を殺すわけじゃないし、あの人が私にしてきたことはひどかったことは事実だし。
それに対して、怒ったり、嫌いだって思うのは当然じゃないかと。

怒りを否定して、嫌いなくせに嫌いじゃないって思い込もうとして、
一生懸命、頼まれてもないのに母親の気持ちを必死に汲み取ろうとして、
嫌われないように、もっと愛してもらおうとしてるから、苦しいんだ。


母親の愛は確かにあった。今もあると思う。

でも、今の私はその愛をまだ純粋に、素直に受け取れない。


まだ、母親を許せないし、嫌いだし、まだ私の被害者意識は根深い。

でも、いつか溶けるかもしれない。
私が母親に持っている沢山の「思い込み」を手放したとき、
心から母親を愛して、感謝できるときがくるかもしれない。
来ないかもしれない。

今は、どっちでもいい。


やっと、母親から自由になるためのスタートに立てた。


私の母の日は、母からの独立記念日。


  
     
最近、色々書き連ねながら、いつも同じところにたどり着く。



「存在する価値がない。」



これまでの自分の辛かったこと、悲しかったこと、ムカついたこと、イライラしたこと、何でか分からないけどいつも思い出されること。

ひとつずつひも解いて、その時の感情を感じてみると、
どれにも怒りや悲しさや寂しさや孤独があって、そして最後に、


「私は存在する価値がないんだ。」


という思い込みがある。

存在する価値がないと思っているから、悲しくて、寂しくなるのか、
悲しくて、寂しいから存在する価値がないと思うのか、
どっちから生まれてきたのか分からないけど。


色々本やblogを読んで、
「自分を愛する」とか、「自分を大切にする」とか、「自分を認める」とか・・・。
そんなことがどれにもあって、それが大事だってことはよく分かった。

でもそれってどうするんだろう、どんな感じなんだろうって全然分からない。

自分のことが「好き」とか「嫌い」とか、
「自分はこれでいい」とか、「こんな自分は嫌だ」とか、
さっぱり分からなかった。

本やblogでは色々な方法を教えてくれて、出来そうだなって思うものを色々やった。
私に向いているもの、向いていないもの、色々あった。

色んなことに気がついた。
自分が、自分が思っている以上に色々なものを抱えていて、
色々なものが見えなくなっていた。
自分で自分をがんじがらめにしていた。

「自分のことを愛すること」の意味が少しずつ分かってきた。
でも、今ひとつ実感が出来ない。

いつしか、「自分を愛さなければならない。」という思いに縛られて、
それが分からない、出来ない自分にイライラしだして。

「~でなければならない。」って思い込みを手放したいのに、
手放すためには「~でなければならない。」って何だそりゃ。


ぐるぐるぐるぐる。
頭が痛くなってくる。
抑えきれなくて涙が出てくる。

それでも色々考えて、色々なblogをさまよって、ふとしたところで気がついた。


「私は存在する価値がない。」


って思っていると。


存在する価値がないのに、自分を愛するも何もなかろうと。
存在する価値がないのに、自分が好きとか嫌いとかないだろう。
存在する価値がないのに、何がしたい、したくないもないだろう。

存在する価値がない人間に、そんなこと考える必要がない。


よく死ななかったなーって思った。
まぁ自分が「存在する価値がない。」と思い込んでることに気がついてないんだから、死ぬわけないんだけど。

思い返してみると、「存在価値がない」と無意識に思いながら、何とか自分の「存在価値」を見出したくて、必死だった。


「存在する価値がない。」


それはとても悲しい、苦しい思い込みだった。
でも、一方で何とも都合のいい思い込みだった。

何かあっても、「どうせ存在価値がないから。」という理由で、
拗ねて、いじけて、落ち込んで、色々と人のせいにして、
自分の思い込みを強化して、色々なことを勝手に抱え込んで生きてきた。

しかし、気がついてしまった。

このまま、「だって存在する価値ないし。」といじけて生きていくこともできるが、
それはちっとも楽しくない。
いくらなんでもそこまで「ドM」ではない。


本当に私は存在する価値がないのか。
そんなことはないだろう。

友達、恋人、仕事、家族。
たくさんの人たちがいる。

それなのに、「良し」と出来ない自分。

ややこしいヤツだ。
メンドクサイ女だ。

まぁでもしょうがないじゃんね。
そう思ってるんだから。


でも、何だかあと少しな気もしている。




  
     
今日、のんびり過ごしている中で、昨日友達とも色々話したことも含めて、母親のこと整理してみようかなー、やだなー、どうでもいいなーとうだうだしながら、いつものようにあちこちのBlogを眺めていたら、ふと「父」のことがひっかかった。

母の存在、母との関係、母への感情。
それらが、色々なことの枷になっていると思っているが、
果たして「父」はどうなんだろうか、と。

今の父。
病気になった時の父。
学生の時の父。
子供の時の父。

思っている以上に沢山の父が出てきた。
ああ、そうだった。父さんはこうだったわー・・・。
かつての父を忘れていたことに驚いた。


昔の父は、自営業をしていた。
「社長」と呼ばれる父を誇らしかった。

でも一方で、怖かった。
声が大きくて嫌だった。
語り始めると長くて嫌だった。
いつもえらそうな感じで嫌だった。
無口で何考えているのか分からなくて嫌だった。
態度がでかくて、恥ずかしかった。

でも事業がうまくいかなくなって、
脳腫瘍になって身体も思うようにならなくなって、
そして母親に罵倒される父をみて、
お父さんは可哀想だと思うようになった。

脳腫瘍のせいなのか性格がすっかり穏やかになり、
また、母親とのぶつかり合いのなかで、語った父の言葉で、
父の優しさと大きさに気づくようになった。

だから、私は父との間に何の問題もないと思っていた。

でも、今振り返って、思い返して、掘り下げて。。。


そうでもなかった。

父を非難し、父に怒り、父を哀れんでいる私がいた。

私が県外に行きたかたの反対するばっかりで、認めてくれなかった。
私のことにちっとも関心を示してくれなかった。
どうして、そんなに自分に甘いのか。
どうして、もっとお金のこと真剣に考えないのか。
どうして、そもそもあんな人と結婚したのか。
どうして、もっと母親に責任もって関わらないのか。
もっと相手して、ちゃんとお母さん怒ってよ。
どうして、もっと自分の思っていることを、表現しないの?
どうして、いつも何もしゃべらないの?
どうして、人生楽しそうに過ごせないの?
自分の人生、自分で落とし前つけて。
私を巻き込まないで。
というか、あの人(母親)何とかしてよ。


すんごい被害者意識だなー。
しかし、すんごい怒ってんなー。
出てくる、出てくる。

私は父を、思った以上に怒っていて、
思った以上に哀れんでいた。


私は父を、

「怖い」
「自分勝手」
「いつも偉そう」
「何も分かってくれない」
「何も分かろうとしてくれない」
「自分に甘い」
「だらしがない」

って、勝手に決め付けて、非難し、怒り、哀れんでいた。

だけど、父は生きたいように生きてきて、仕事もしたいようにして、美味しいものもたくさん食べて、飲んで、そのおかげで私は美味しいものを沢山食べに連れて行ってもらったし、大学まで行かせてもらえた。

結果的に今は身体も仕事もお金も思うように行かなくなっているけど、それは父が生きたいように生きてきた結果だし、冷たい言い方だけど、自業自得なんだと思う。

そして、それは父自身が、誰に言われなくてもよく分かっていると思う。
私の父は、とても賢い人だから。

不器用で、口下手で、色々な事がうまく出来なくて、自分にどこか甘い。
でも、優しくて、穏やかで、愛情深くて、私をとても愛してくれている。

そのことに、いつまでも気がつかなかった、見ようとしなかった。
そこにある「思い込み」はなんだったんだろうか。



って、分かってるけど。

重たいなぁ~・・・。


  
     
自分の「思い込み」で、現実を見て、現実を作り出していた。


そう気がついたところで、いきなり人生バラ色、虹色、ハッピーエンド☆


とかには、当然ならない。


むしろ、「思い込み」を修正しようとする自分と、
「そんな必要ない!ていうか私はおかしくない!」という自分(エゴ)との、

それはそれは壮絶なやりとり。


その時その時に沸いてくる不安や苛立ちの感情から、
自分の「思い込み」に焦点を当ててみる。

たいていの不安や苛立ちの感情の乱れのきっかけは、

・恋人
・仕事の電話相手
・仕事の人間関係
・母親と祖母

どうしても必然的に、自分に今近い恋人や仕事になるが、
本当の根っこは「母親」だ。
まだ、その根っこに向かい合う準備は出来てないように思う。


さて、感情をどんどん掘り下げていくと、必ず行きつくところがある。

「(相手を)自分の思い通りにしたい。」
「私が正しい、間違っていない。」


もちろん、相手には相手の都合やら思いやら、何より自由があるので、
当然私が望む(期待)どおりの動きにはならない。

だから、苛立ちばかりが募る。
無力感が募る。

そんな感情にばかり振り回されて疲れ果ててた。



それだけ自分の思いや感情を抑えて抑えて、
いっぱい我慢してたんだね。
よく頑張ったね。偉いね。

そう自分に語りかけて、手放して。

でも、まだ出てくる。

思考のわんこそば。
感情のところてん。

あまりの「思い通りにしたい」欲求に、呆れて笑えてくる。


「自分の思う通りにしてはいけない。」
「自分の思う通りにはならない。」
「いつも自分のことばかり考えてはいけない。」


そう思い込んで、沢山の自分の意志を、感情を、行動を抑えてきた。


だから、自分の思うように生きている人が許せなかった。
人に甘える、頼る人、考えない人が許せなかった。
自分で何とかしようと頑張らない人が許せなかった。
(全て、私の視点でそう見える人)


私は自由に生きられないのに。
私はこんなに相手のことを考えているのに。
私は誰にも甘えず、頑張ってきたのに。
私は自分の好きにすることを許されなかったのに。


素晴らしい傲慢な「思い込み」と、
その奥にあるとても大きな悲しみと、寂しさと、怒り。


私は何度も何度も、自分に語りかける。

ごめんね。
いつも外の世界にばかり捉われて、振り回されて、
苦しくて、悲しくて、気がついて欲しいって
ずっと叫んでいるのに、全然気がついてなかったね。
すごく苦しかったよね、ごめんね。
許してね。

ずっと頑張ってきてくれたね。ありがとう。
もう大丈夫だよ。
今までありがとう。本当にありがとう。
その思い込みはもう手放していいんだよ。
もうその思い込みは必要ないんだよ。
自由になっていい。
もっと自由に、もっと自分に集中して、
もっと自分勝手に生きていい。
本当にありがとう。


何度も何度も手放して、何度も何度も戻ってくる。
戻るたびに、落ち込む。くじけそうになる。

それでも、螺旋階段みたい。

同じところをグルグル周っているように見えるけど、
少しずつ、上に進んでる。

そう信じている。



  
     
私のこれまでの人生は、思い込み100%だった。


「~じゃないといけない。」
「~しないといけない。」
「~じゃないと嫌われる。」
「~じゃないと愛されない。」
「~だからダメなんだ。」
「~だから~となるはずだ。」


これを、自分はもちろん他人にもあてはめるので、もう苦しいばかり。


私の場合、この「思い込み」のきっかけは、母親の影響が大きい。

例えば母親は、汚すことだったり、私がベラベラとしゃべること、家族を優先しないこと、その他も色々母親のマイルールを外れることに、非常に怒りを示す人だった。

そして、

「自分の思い通りになると思うな。」
「調子に乗るな。」
「そんなことしたら、人から嫌われる。」

それが子どもの頃、母が私によく言うセリフだった。


私は母の怒りが本当に怖くて、いつの間にか、怒られないために、より愛してもらうために、

「汚したらダメ」
「しゃべりすぎると嫌われる」
「~時までに帰らないといけない」
「浮かれすぎてはいけない」
「遊びすぎてはいけない」
「私と本当に会いたいとか遊びたいと思う人は実はいない」
「人に頼ったり甘えてはいけない」
などなど。

挙げたらキリがないくらいの「思い込み」を作りあげた。


確かに自分で生きることが出来ない子どもの頃は、
そうするしかないこともあっただろう。


だけど、自分で生きることが出来るようになっても、
それら沢山の「思い込み」を持ち続けることを選択したのは、

他の誰でもなく、自分だった。


母のせいでもなく、
恋人のせいでもなく、
友達のせいでもなく、
仕事のせいでもなく、
世の中のせいでもなく、
教育のせいでもなく、

私だった。


私が、私を、自分の「思い込み」で、苦しめていた。
私が、私を、許さなかった。


認めて欲しい。
愛して欲しい。

ずーっとあったその思い。


私を認めてないのも、私を愛していないのも、

私だった。


でも、「思い込み」は気がついたときから「思い込み」じゃなくなる。

とても根深い「思い込み」だけど。

修正できる。


そう信じられる今が、幸せだと思う。



  
     
大腸。
未だ不全。

しかし、リバウンドしそうな勢いの食欲・・・。

ポテトサラダが食べたくて仕方なくなり、
金曜日は仕事の間中、「ポテトサラダが食べたい!」と訴え続け、
ようやく日曜日に作ったら、

「えっと・・・、何人家族?」

と、1人暮らしには途方に暮れる量が出来てしまい、
ポテトサラダ狂いの私でもさすがに2日で食べきれず。。

明日は火を通さないと、また胃腸が麻痺しちゃう。

洒落にならない。


さて、余談その1。とした以上、その2、その3があるハズで。

実際あるハズだったんだが、食べる幸せを噛み締めていたら、
何を書きたかったか忘れてしまった。


で、多分この話だったはずの話を。
(別にそうまでして話す必要もないのだが。)



幽霊って、人を噛むことが出来るんでしょうか?



ポカリを飲んでは気持ち悪くなり、りんごジュースを飲んでは気持ち悪くなり、水に至っては、「飲みたくない」。
吐きたくて仕方がないのに、吐けない。
下すんなら下せー!と覚悟して待っているのに、お腹は痛くもない。

もうダメだと布団にもぐり、いつの間にか意識を失う。(つまり、眠りにつく。)

ふと気がつくと、布団の上に何か乗ってる。
確か右を向いて寝ていて、布団に何か乗ってると思って少し、身体を仰向けにして手を伸ばす。


子ども?


小さな子どもが乗っていると思った。

不思議と怖いとか「何で?」とかはなく、何となく「小さな頃の私なんかな?」とか思ったり。
でもその子どもの姿は布団が邪魔して見えない。

それで私は、その子どもの頭を撫でようと、抱きしめようとして両手でその子どもの頭を触った。

その感触は確かにあった。(と思う・・・)


しかし、噛まれた。
痛かった。


「ええー、噛まれた。何で?」と、ショックを受ける。

ショックを受ける一方で、だんだん「いやいやいや、幽霊じゃない?」と怖くなってくる。

「どうしようかなぁ。怖いなあ・・・。布団動かしたら見えるのかなー。見たらいけない気がするなぁ・・・。」

何だか動きづらい。というか動けない。
布団の向こうに気配はする。ていうか乗ってるし。


ふと、枕元の左側に携帯を置いているのを思い出し、それに手を伸ばそうとしたら。


阻まれた。
手を抑えられた。

結果的に、私の左側にその子供がいる。

しかし、見えない、見れない。


どうしようかと思ってたら。


その子どもが何かしゃべった。
(その時は覚えていたが忘れてしまった)

意味が分からなくて、聞き返そうと、その子どもがしゃべったことをオウム返しした。


声が出た。


「あ、声が出せた・・・」



一種の金縛りにあっていた。

あー金縛りかぁ。。夢だったかなーと思いながらも、どこかリアルで。


後輩がちょうど、「どうですか?下剤効いてきましたか?」とメールしてきたので、

「ちょっと出たー。でも幽霊?子ども?も出てきたー。」と返事をしたら、

とうとうおかしくなった!(←どういう意味だろうか)と心配して、
夜に様子を見に来てくれた。
(最悪、実家に強制送還されるところだった笑)


不思議な体験。



  
     
木曜日の夜ごろからちょっとずつ復活の兆し。
昨日の夜、今日の夜、2日続けてお好み焼き!

食べるって美味しい!
食べるって嬉しい。
食べるって楽しい。
食べるって本当に幸せ。

しかし・・・。

大腸の動きは未だ不全。
下剤の効き目もイマイチ。。。
今度は便秘で気持ち悪いとか笑えない・・・。

胃も完全ではないんだろうなぁ。。炭酸が飲みたくて仕方がない。


前置きが長くなった。

さて、細菌性急性腸炎(←勝手に命名)の余談その壱。


あまりの気持ち悪さに、診療時間ギリギリに病院に駆けつける。
金曜日にもらった薬が効かず、気持ち悪さで死にそうだと訴える。

医者 「妊娠してない?」 (前出)

私 「100%ないですね。」 (前出)

触診時、左背部が痛い。

医者 「うーん、その位置だともしかしたら尿管結石とか、腎炎の可能性がないこともない。。。」

私(心の中) 「いやー、左肩甲骨痛めてるしなぁ・・・。ていうか、さっきもいたって健全にトイレ出たんだけど。」

医者 「仕方ない!エコー撮ろう!」

私 「すいません、診療時間もう終わりなのに。。」


という感じでエコー。

そして、胃腸が全く動いていないことが発覚。

そして内臓全てをエコー。
どこも異常なし。


と、その時のエピソード。

医者 「ところで、ウエスト細いね~。」

私 「そうですか?」
私(心の中) 「なにこの医者。セクハラ?」

医者 「いやー、もう内臓がよく見えるんだよ~。こんなによく見えることなんて中々ないからねー。ほらー、あれでしょ?みんな脂肪でねぇ~。悪いけど、よく見えないことも多いんだよ~。ほらー、すい臓がこんなによく見えるよ!」

私 「それは・・・・ありがとうございます(苦笑)」
私(心の中) 「いやー、何の画像か私にはさっぱり・・・」

医者 「これが、胆のうで、ここが肝臓。これが腎臓で・・・。」

すべて、モノクロ画像でしかない・・・。

医者 「で、ここが肛門から膀胱、こっちは膣で、ここが子宮。」


医者 「妊娠してたらここにいるんだけど、いないね。」


私(心の中) 「だから、妊娠してないって金曜日から言ってるジャンよ!!!」


このお医者様。

エコーがよく見えたことがよほど嬉しかったのか、内臓について繰り返しご確認、ご説明してくださり、二度も、「妊娠していたら、子宮に赤ちゃんがいるのが確認できる」とご説明してくださいました。


気持ち悪くて仕方がなかった原因が判明でき、脾臓以外の全ての内臓の確認ができて異常もなく、ウエストが細いと褒めてもらい、面白いエピソードをいただけたことを、深く感謝する今日この頃。。




  
     
最新コメント
[08/20 NONAME]
[11/17 masa]
[04/10 kiraboshi]
[04/08 kiraboshi]
[04/07 jasmine ]
[04/05 jasmine ]
[04/01 jasmine]
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カウンター
プロフィール
HN:
octobre
年齢:
42
性別:
女性
誕生日:
1981/10/17
ブログ内検索
バーコード
忍者ブログ [PR]