ただよいながら…
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朝、blogにした「存在価値→★」がないでもそうだし、呆れるまでの自己肯定感の欠如、自己卑下、無意味な自己顕示欲、沢山の自らを追い詰める思い込み。
その時その時に自分を守るために作り上げてきた思い込みが、もはや不要となった今でも残り続け、昇華されず、習慣となり性格となった。
昇華せず自分の中に貯め続け、「思い込み」の枠の中で生きることを選択し続けたのは、私だった。
しかし、その思い込みを作るきっかけは、思い込みがどんどん強化された原因は、
間違いなく、私の母親だ。
母の日に。
あえて、私は自分のために、自己満足の記録を残すことにした。
※果てしなく長く、ただの自己満足で、読んでいても気分がいいものではないので、母親が大好きな人とか母親に無条件に愛されている人は見ないほうがいいです。気分を害するだけです。
これを読む誰かにどれだけ非難されても、
どれだけ呆れられても、
誰かを失うことになっても、
天罰が下されたとしても、
それでも、私の母親はおかしいと思う。
どうしようもなく許せなくて、どうしようも憎くて、悲しくて、
もはや、怒りを通り越して消えて欲しい。
そう思うことは半端ない罪悪感だった。
私は何てひどい、最低な人間なんだろう。
沢山のことをしてくれたはずなのに。
たった一人の母親なのに。
どうして素直に感謝できないんだろう。
どうして素直にお母さん、大好きと思えないんだろう。
私は母親に愛されなかったのか?
それは何度も考えた。
そう思ったこともあった。
やりたかったバレエを習わせてくれた。
毎日作ってくれるご飯はいつも美味しかった。
お弁当もいつも彩り豊かに作ってくれた。
誕生日やクリスマスはプレゼントを買ってくれたりお祝いしてくれた。
必要なものは必要な分だけちゃんと与えてくれた。
叩かれたり、無視されたり、突然怒られたり、ひどいことを言われたことも
あったけど、世にあるような虐待をされた訳でない。
母親は母親の気持ちややり方で、私を愛していたのだと思う。
私は愛されてなかった訳ではない。
ただ、母親の愛し方が、私が求めている形ではなかった。
私を自由に、無条件に認めてくれるものではなかっただけで、
母親の愛は確かにあった。
だから、
「それでも私は母が大切だし。」
「普段は私のために色々してくれているんだし。」
「たった一人の母親なんだし。」
「もっと大切にしなきゃ。」
「感謝しなきゃ。」
と思ってた。
なのに、母に怒りや嫌悪感を感じる。
時には殺意すら感じる。
自分はおかしいんだと思ってた。
そう思うたびに罪悪感に押しつぶされた。
罪悪感がさらに私を責めて、存在価値がないことを裏付けてくれた。
母親のことが大好きで、愛している自分は、確かにいる。
だからこそ、母親を許せない、大嫌いだと思う自分が許せなかった。
でも、もう降参。
私が勝手に母親に振り回されているんだけど、
私が勝手に母親に怒っているんだけど、
私が勝手に母親を嫌っているんだけど、
私は、母親が嫌いで、許せなくて、時に死んで欲しいとすら思っている。
それでもいいことにした。
それはGWの最終日。
「父→★」に思いを馳せた後、ホットヨガ&岩盤浴に行くことにした。
ホットヨガですっきりして、岩盤浴の前に休憩していた。
頭の中がまだぐるぐるしていて、休みがてらノートに母への思いを書き連ねていた。
その時、表現しがたいくらいの怒りがこみ上げた。
怒りのあまりに泣き叫びそうで、そうは言ってもホットヨガでノーメイク汗だくで、
それぞれがダラ~っと休んでる公共の場で泣き叫ぶわけにも行かず。
とうとう私は気が狂ったんだ・・・って思いながら、
必死に叫びそうになるのを抑えて、気がついたらノートは真っ黒。
絶対、傍からみたらヤバイ人だっただろうな・・・。
でも、ものすごくスッキリした。
ああ、別に実際母親を殺すわけじゃないし、あの人が私にしてきたことはひどかったことは事実だし。
それに対して、怒ったり、嫌いだって思うのは当然じゃないかと。
怒りを否定して、嫌いなくせに嫌いじゃないって思い込もうとして、
一生懸命、頼まれてもないのに母親の気持ちを必死に汲み取ろうとして、
嫌われないように、もっと愛してもらおうとしてるから、苦しいんだ。
母親の愛は確かにあった。今もあると思う。
でも、今の私はその愛をまだ純粋に、素直に受け取れない。
まだ、母親を許せないし、嫌いだし、まだ私の被害者意識は根深い。
でも、いつか溶けるかもしれない。
私が母親に持っている沢山の「思い込み」を手放したとき、
心から母親を愛して、感謝できるときがくるかもしれない。
来ないかもしれない。
今は、どっちでもいい。
やっと、母親から自由になるためのスタートに立てた。
私の母の日は、母からの独立記念日。
その時その時に自分を守るために作り上げてきた思い込みが、もはや不要となった今でも残り続け、昇華されず、習慣となり性格となった。
昇華せず自分の中に貯め続け、「思い込み」の枠の中で生きることを選択し続けたのは、私だった。
しかし、その思い込みを作るきっかけは、思い込みがどんどん強化された原因は、
間違いなく、私の母親だ。
母の日に。
あえて、私は自分のために、自己満足の記録を残すことにした。
※果てしなく長く、ただの自己満足で、読んでいても気分がいいものではないので、母親が大好きな人とか母親に無条件に愛されている人は見ないほうがいいです。気分を害するだけです。
これを読む誰かにどれだけ非難されても、
どれだけ呆れられても、
誰かを失うことになっても、
天罰が下されたとしても、
それでも、私の母親はおかしいと思う。
どうしようもなく許せなくて、どうしようも憎くて、悲しくて、
もはや、怒りを通り越して消えて欲しい。
そう思うことは半端ない罪悪感だった。
私は何てひどい、最低な人間なんだろう。
沢山のことをしてくれたはずなのに。
たった一人の母親なのに。
どうして素直に感謝できないんだろう。
どうして素直にお母さん、大好きと思えないんだろう。
私は母親に愛されなかったのか?
それは何度も考えた。
そう思ったこともあった。
やりたかったバレエを習わせてくれた。
毎日作ってくれるご飯はいつも美味しかった。
お弁当もいつも彩り豊かに作ってくれた。
誕生日やクリスマスはプレゼントを買ってくれたりお祝いしてくれた。
必要なものは必要な分だけちゃんと与えてくれた。
叩かれたり、無視されたり、突然怒られたり、ひどいことを言われたことも
あったけど、世にあるような虐待をされた訳でない。
母親は母親の気持ちややり方で、私を愛していたのだと思う。
私は愛されてなかった訳ではない。
ただ、母親の愛し方が、私が求めている形ではなかった。
私を自由に、無条件に認めてくれるものではなかっただけで、
母親の愛は確かにあった。
だから、
「それでも私は母が大切だし。」
「普段は私のために色々してくれているんだし。」
「たった一人の母親なんだし。」
「もっと大切にしなきゃ。」
「感謝しなきゃ。」
と思ってた。
なのに、母に怒りや嫌悪感を感じる。
時には殺意すら感じる。
自分はおかしいんだと思ってた。
そう思うたびに罪悪感に押しつぶされた。
罪悪感がさらに私を責めて、存在価値がないことを裏付けてくれた。
母親のことが大好きで、愛している自分は、確かにいる。
だからこそ、母親を許せない、大嫌いだと思う自分が許せなかった。
でも、もう降参。
私が勝手に母親に振り回されているんだけど、
私が勝手に母親に怒っているんだけど、
私が勝手に母親を嫌っているんだけど、
私は、母親が嫌いで、許せなくて、時に死んで欲しいとすら思っている。
それでもいいことにした。
それはGWの最終日。
「父→★」に思いを馳せた後、ホットヨガ&岩盤浴に行くことにした。
ホットヨガですっきりして、岩盤浴の前に休憩していた。
頭の中がまだぐるぐるしていて、休みがてらノートに母への思いを書き連ねていた。
その時、表現しがたいくらいの怒りがこみ上げた。
怒りのあまりに泣き叫びそうで、そうは言ってもホットヨガでノーメイク汗だくで、
それぞれがダラ~っと休んでる公共の場で泣き叫ぶわけにも行かず。
とうとう私は気が狂ったんだ・・・って思いながら、
必死に叫びそうになるのを抑えて、気がついたらノートは真っ黒。
絶対、傍からみたらヤバイ人だっただろうな・・・。
でも、ものすごくスッキリした。
ああ、別に実際母親を殺すわけじゃないし、あの人が私にしてきたことはひどかったことは事実だし。
それに対して、怒ったり、嫌いだって思うのは当然じゃないかと。
怒りを否定して、嫌いなくせに嫌いじゃないって思い込もうとして、
一生懸命、頼まれてもないのに母親の気持ちを必死に汲み取ろうとして、
嫌われないように、もっと愛してもらおうとしてるから、苦しいんだ。
母親の愛は確かにあった。今もあると思う。
でも、今の私はその愛をまだ純粋に、素直に受け取れない。
まだ、母親を許せないし、嫌いだし、まだ私の被害者意識は根深い。
でも、いつか溶けるかもしれない。
私が母親に持っている沢山の「思い込み」を手放したとき、
心から母親を愛して、感謝できるときがくるかもしれない。
来ないかもしれない。
今は、どっちでもいい。
やっと、母親から自由になるためのスタートに立てた。
私の母の日は、母からの独立記念日。
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