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あまりにも久々のボブなので、自分でもいまだに慣れず、ふと鏡に映った自分を見て軽く驚く。
ただ髪型は思いのほか好評。
日本人形みたいって言われたり(そんなに髪は綺麗じゃない…)、
Desireの中森明菜みたいって言われたり(飾りじゃないのよ涙はしか歌えない…)、
クレオパトラみたいって言われたり(色んな男をとりこするような魅力と鼻の高さは残念ながら持ち合わせていない…)、
等々、と結構いいイメージで言ってもらえて嬉しいのだが・・・。。。
私には自分がちびまる子ちゃんに見える…。
いい加減で適当で、面倒くさがりなところかよく似てるし。
とりあえず、この1週間は何とか髪型維持した。
昨日、10月17日。
あっさりと28歳になった。
結婚や出産をしていたり、仕事が忙しかったり、遠くに住んでたりして、久しく連絡が遠のいている友人知人も多いのだが、それでも思いの外、また思いがけない人たちからも、お祝いやお祝いのメールをたくさんもらった。
歳をとるのは若干寂しいものがあるのだが、ほんの一時でも自分のことを思い出したり忘れないでいてくれて、連絡をしてくれたりお祝いをしてくれたりすることは、純粋に嬉しいなと思った。
この場を借りて、改めてありがとう。
今日、28歳になって気持ち新たに、という思いも込めて髪を切った。
4年から5年くらい伸ばし続けて、最も長い時には腰位まであった髪を思い切って、肩上までばっさり。
髪質が、うねりやクセが強く広がりやすい髪なので、10年来の付き合いのある美容師さんは相当苦しんでたけれど、なんとか今のところ綺麗におさまってる。
問題は、自分でちゃんとブローが出来るか・・・。
不器用で、面倒くさがりで、何でも適当なこの私に。。
長い時は、うねってても広がってても長いだけでどうにでもごまかせてたので、今後どうやってごまかせていけるのか。
しかし、まさかこの髪型を注意されるなんてことはないよな~・・・・。
とても仲の良い友達がいる。
高校の頃からだから、かれこれ10年近くだろうか。仲良くなったのは高校卒業してからだけど。
彼女といるととても楽しいし、しょっちゅう遊ぶし言いたいことも結構自由に言えて、自然で数少ない貴重な友達。
でも、どうしてもぬぐえないコンプレックスがある。
1.私は女として、彼女にはかなわない。
2.私は女として、何の価値も魅力もない。
おそらく、いや間違いなく 「嫉妬」
女としてかなわないのも、女として魅力がないのも全部自分のせいであって、その感情を彼女に向けるのはお門違いもはなはだしいことは百も承知だし、それがあっても彼女が私にとって、これまでもこれからも大切な友達であるのは事実。
だから余計にしんどい。
嫉妬の感情も、またその嫉妬するにあたる上記2点が残念ながら現実であることも。
泣きたくなる自分と、卑屈になる自分と、開き直る自分と、頑張ろうともがく自分と。
全部自分の感情で、感情だからどうしようもないし、自己啓発本なんかだと 「それでいいんだよ。」 とか言われるんだろうけど、そんなことは分かってる。
って勝手に一人でツッコミ入れてますます卑屈に沈んでいく自分にもうウンザリ。
消えてしまいたい。
ちょっとしたトラブル(?)があって、バレエの先生と色々とメールのやりとりをした。
トラブル自体は困ってはいるが大丈夫なのだが、そのトラブル以外でのお話で先生からのメールでの一言。
「octobreさんも自分に厳しさを戻された時は、どうぞ私に(バレエを)教えさせてくださいね。」
やっぱり…。やっぱり見抜かれてた
そうじゃないかとずっと思っていました、先生。
気がつかないふりをしてました。
先生、すごいなぁ・・・と最近つくづく思います。たまに恐ろしくもなりますが。
7月ごろからずっと首や肩が重く、仕事でPCに向かっているのも電話に出るのもしんどくていよいよ限界だということで、先日1,2年ぶりに前行っていたリンパマッサージに行ってきた。
あまりの凝りに驚かれたのと同時に、久々に会った私の変貌にもの凄く驚かれた。
「何があったんですか?octobreさんは昔はもっとキラキラ~と輝いていて元気で明るい感じでしたのに・・・。お疲れですか?」
マッサージをしてもらった後(首が尋常がないくらい凝っていて溜まっていて以前より首が太くなっていたらしい)、顔や目の周りがずいぶんすっきりしたのが鏡でみるだけですぐ分かった。
キラキラ輝いていた記憶は全くないのでそこはよく分からないが、確かに最近自分の顔を鏡でみてよく思う。
私はなんて顔をしているんだろうか。
昔はもっと元気じゃなかったか。
昔はもっと明るかったはずではなかったか。
昔はもっと色々動き回っていたのではなかったか。
昔はもっと色々なことに好奇心旺盛ではなかったか。
昔はもっともっと楽しくて面白い人間ではなかったか。
昔はもっといっぱい笑っていたはずではなかったか。
年齢を重ねてきているからだとはとても思えないし、無邪気だった子どもから大人になったのだとも思えない。
昔を偲んでいるわけでもないし、昔に戻りたいなんて全く思わない。
ずっと、自分の足元が見つからずただよっているんだと思ってた。
だけどいつの間にか、身体も気持ちも沼のようなところに奥深く静かに沈んでいた。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090610-00000002-president-bus_all
私の職場では、私より上の人は(年齢も立場も。私より下は1人だけ。) みんな30代以上 (アラフォーもいる) でそれなりに学歴持ってて、 その90%が 「寿退社」 を望みながらも(残りの8%は既婚者)、予定がないので (あるのかもしれないが現時点で) 働き続ける独身女性ばかりなんで、別に20代に限った話じゃないと思うのだけれど。。。
専業主婦も、働くキャリア女子も、どっちもなぁ・・・。
こういうの、ピーターパンシンドロームって言うのかな。
じんましん。
また出た。 もう今更驚かない。
しかし、今回は過去例にみないくらいひどかった。
火曜日の夜、ポツポツと出てきて 「あ~、また出たわ~。久しぶりー。」
次の日の水曜日の朝。
赤みは何となく残ってるけどかゆくないし、いつも夜に出るから気にもしてなかった。
悲惨なことになるとは夢にも思わなかった。
仕事していると、まぶたが痒い。
鏡を見ると、蚊にさされたように膨れてる。 嫌な予感。
ふと見ると、肘の裏が赤くなってこれも蚊に刺された時のような腫れがあちらことらに点在している。そして広がっている。
気が付くと、無意識に全身をぼりぼり掻いている自分がいた。
お昼ごはんも食べてるのか掻いているのか果たしてどっちだ?
その後、右のまぶただけだったのが、左側のまぶたにまで広がっていた。
電話受けながら、掻きながら、メモ取りながら。
訳がわからなくなってイライラするし、痒いし、しんどいし。
耳たぶにまでじんましんが広がったときは、もう流石に限界だった。
早退させてもらって、一旦保険証を取りに家に帰った。
服を着替えて鏡を見たら・・・。
世界地図が首に、背中に、お腹に、お尻に、太ももに。
絶句。
病院(皮膚科)に行って、飲み薬をもらって落ち着いたけど・・・。
「夜に出て、朝には引く。」
これが私のじんましんスタイルだったはずなのに。一体どうしたのか・・・。
ここまでひどいのは本当に6,7年ぶりだった。
さらに時を同じくして、左側の首筋が痛い。
リンパ腺?ただ筋を痛めただけ?
扁桃腺はキレイだし、熱もないし。
病院の先生(今度は内科)も首を傾げるが、痛いものは痛い。
膝に、股関節に、腰に、口内炎に、じんましんに、首に。
次はどこだろう?
脳みそかな。
もう、本当にうんざり。
別にいらないとおもうけど、下のblogの続き。
そういえば、まだいた。
8月くらいに職場の元同僚。私を完全否定した人。
9月辺りに会社の先輩。
春夏秋冬、全部生まれる。
ラッシュというか、ベビーブーム?
今日バレエに行ったら前のクラスの子ども達がわんさかいた。
少子化なんてのは、気のせいだったりして。
4月は大学のゼミの友達。
6月は高校の同級生で同じクラスだった友達。
12月は大学の時同じ学科でよく遊んでた友達。
来年の1月は高校の同級生でクラスは違ったけど仲が良かった友達。
出産ラッシュ。
今日は、友達のお買い物に付き合って、久々に郊外にあるショッピングモール(イオングループ)に行ったんだけど、沢山の家族連れ。あっちもこっちも家族連れ。
エレベータもエスカレータも家族連れ。
ユニクロも無印良品も、「ここはちょっとギャル系じゃない?」ってお店も、みんな家族連れ。
よそ見していた子どもに激突され、フードコートは子ども、子ども、子ども・・・。
どこが少子化なんだろうか。
ということを、1ヵ月後に知った。
どうも長いこと患われていたのか友達も覚悟はしていたようで、友達本人から聞かされたときも本人は至って冷静だった。
病気だったことすら知らなかった。
彼女と付き合ってかれこれ10年。
2,3ヶ月に1度は会っていたのに何にも知らなかった。
ほとんど誰にも言ってなかったらしいけど。
それが正直すこしショックで悲しかった。
友達だから何でも話さないといけないことではないし、私だって話していないことは沢山あるし。
彼女自身とてもプライドが高くて強がりな子で自分の弱みを決して他人に見せる子ではなかったから、今回のことは余計に言いたくなかったのかもしれないし、
友達に気を使わせたくなかったんだろうし、友達といるときは不安なことは忘れて、ただ笑って過ごしたかったのかもしれないな、と思う。
教えられても確かに私にできることはない訳で、知らなかったことに勝手に悲しんだり、「これでも10年も付き合ってきてるのに私達って・・・。話くらいいつだって聞くのに。。」 と淋しく思ったりするのは私の勝手なエゴだろうとは思うのだけれど。
そんな複雑な寂しさと同時に、彼女が落ち込んだり無理したりしていないだろうかと心配していたけれど、会ってみたらいつもの彼女だった。
もちろん色々と思うところはあるんだろうけれど、本当にあきれるくらいの強がり娘だからいつも通りでいたかったのだろうと思う。
だから私も全く変わらずいつも通り。 私にできることはそれくらい。
それにしても彼女は本当に変わってなくて相変わらず理想が高く、2ヶ月前は「結婚したい!!!!!」 だったのだが、
「自分は他人と一緒に暮らすのは無理!結婚とか出来ないと思う。」ってことで、
今度は 「恋愛がしたい!!!!」 らしく、
多大なる時間とお金と、何よりエネルギーをかけて数多くの合コンに行っているが、
理想が高く、条件も厳しいので出会えていない。
『かっこいい人』 という条件をまず外してみてはいかがか。と進言したけれど、それはなかなか難しいらしい。
しかし「恋愛がしたい!」 という明確な目的とその行動力やエネルギーは尊敬すべきだろう。
特に私には。
まあ、ただのぼやきというかただの自己満足というか、自分の気持ちの整理みたいなものをたらたらと長いこと連ねているだけなんで、面倒くさかったらすっとばしてください。
今日久しぶりに仲の良い女友達と男友達と飲み行って出た話題から思うことを。
長いことシングルライフな私のことを、「年中楽しそうな人。」という表面的な面しか知らない人は、単純に、そして無神経に、恋人がいないことに対して 「欲求不満にならないの?」とか、「そいういうのは突然現れるんよ~」とか「octobreは自分の生活を楽しんでるもんねー」とか、、慰めてるのか馬鹿にしてるのか、はたまた優越感を感じているのか分からない発言をしてくるが、
「長いこと友達でいて、恋人がいたりもしたけど、だけどこれまでフリーのときでも『彼氏が欲しい!』とかって言ったの、聞いたことがない。」
「octobreって、彼氏とか結婚相手とか必要としていない気がする。」
私の性格を結構理解してくれている(?)友人達は、冷静に今の私をそう分析する。
自分でも具体的に上手く説明できないが、少ない&短いながら彼氏(恋人)がいたことも、好きな人ができてウキウキドキドキしたことはあったしそれはとても楽しかったけれども、例えばドラマや漫画のように、他の同級生のように、彼氏(恋人)を激しく欲したことは確かに一度もない。
1人でいたい訳じゃない。誰も必要としていない訳ではない。
1人でもいられるだけ。というか1人なので1人でいるしかない。
普通に寂しいと思うし、誰かといたいと強く思う。
はっきり言って、口にしてない&自分でも認識できてないだけで、「誰かといたい。」という思いは実は誰よりも強いんじゃないかとすら思っている。
ただ、その誰かが必ずしも「恋人」ではないだけだ。
私が欲しいのはパートナーだ。
共に生きていける人。一緒に存在出来る人。
はっきりいって、共に生きていけるなら別に異性でなくても構わないと思っている。
(とても失礼な発言だと承知とうえで発言するが、私は別に同性愛者ではないし、性同一性障害ではない。)
「恋人」だったら、「夫」だったら、共に生きていける。 とは必ずしも限らない。ということを思っているだけだ。
最も、「共に生きるとは?」と聞かれるとこれはまた説明できないし、自分のただの妄想・理想だとは思うのだけど。
というかただの考えすぎ。。。
今日一緒に飲んだ女友達が昔、恋人に別れを告げられてパニックになって必死に次の相手を探そうと躍起になっていてその焦って作った次の相手とよくわからないことになって混乱していた時、
「そんなに焦らなくていいと思うよ。私だっているんだし、他に●●ちゃんだっているし、〇〇(女友達)は決して1人じゃないんだし、むしろあえてフリーになってゆっくり考えてみたら?話はいつだって聞くよ?」
と、メールをしたら、
「友達と彼氏は違うんよ。」
と、あっさりはねのけられたことがあった。
私には彼氏(恋人)も友達も違いは全くないのだが、恐らくほとんどの人は彼氏(恋人)と友達とは全く違うもので、かつ彼氏(恋人)の存在を前にして友達の存在は果てしなく小さくなる。ということを再確認した出来事だった。
比べるものではないのだろう。比べることがそもそも間違っているのだろう。
それこそ 「私と仕事、どっちが大切なのよ!」 と言うような愚かしい質問くらいに。
それぞれがそれぞれで大事で大切なものなのだろう。
しかし、ほとんどの人が彼氏(恋人)を優先する。実際、優先しているし、されてきた。
でもそれが当たり前なのだろう。
だけど、私にはその「それぞれ」が存在しないし、優先順位が理解できない。
私の方がおかしいんだと思う。
今日、男友達にも、
「中々会えてない恋人が久しぶり会おうって急に言ってきて、でも友達と約束があったら場合、〇〇(女友達)は恋人のとこに迷わず行くだろうけど、octobreは友達の方に行くだろうね。」
と言われたが、おそらくその通りだろう。
よっぽど盲目的にその恋人のことが好きになっていない限り、私は友達の方に行くだろう。
しかし、この女友達はもちろんのこと、ほとんどの人が恋人の方に行くだろう。
「〇〇(女友達)は彼氏(恋人)が必要でその存在は絶対だけど、octobreはパートナーであれば性別は問わないよね。どっちが間違っているって訳じゃないけど、恐らくoctobreのように考える人はほとんどいないだろうね。」
と、男友達は何とも素晴らしい分析を残してくれた。救いようのない分析を。
で、この男友達は世の中に適応したパートナー(女性)を見つけてこの秋、世の中の流れに従ってめでたく結婚する。
人間関係はもちろんのこと、恋愛関係においてもあまりまっとうな関係を築いたことがないので、こんなにひねくれてしまったけれど、実際もし誰かさんと出会って恋とやらに落ちてみた日には、
「こらこらこらこら・・・、あのブログに書いてあったことは何!?」
ってなことになるかもしれないが、そんなことなったことないので、そうなってみたらどんな感じなのか分かって面白いかもしれないなぁ・・あるんかなぁ、しかし・・・。なんて思ったりもする。
何が言いたかったのやら・・・。
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