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   ただよいながら…
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だから何が言いたいというわけでもなく。
特に何かがあってひどく落ち込んでいる訳でもなく。


先月の今頃は入院して、病院のベッドで寝ていた。
病室はとても静かで、窓から青い空を眺めてボーっとしながら思っていたこと。

今回、入院した時にタイミングよく連絡があったり連絡した友達には入院をしたことを告げたが、そうじゃない友達にはたいした病気でもないし、心配かけてもいけないので連絡をしなかった。

だから当然友達は私が入院したことを知らないか、後日知ることになる。


私は、これまで十数回もの結婚式に出ただけあって、友達や知り合いはどちらかと言えば多い方だと思う。
ただ、その交友関係は私を中心に放射線状につながっているけれど、友達同士が円のように横にはあまりつながっていない。
それぞれの友達は私の話を通じてそれぞれを知っているが、それぞれは友達ではない。


ああ、もし私が今死んで、その時に携帯のメモリとかも全部消えていたら、誰も私が死んだことを知らないんだなー。

ああ、何だかとても切ないなぁと思った。
寂しいなぁ、悲しいなぁ・・・って思った。

やがて私が死んだことを知った友達はきっと涙を流し、悲しんで寂しがってくれるのだろう。
しかしそれもやがて時がたち、私の存在は風のように過ぎ去っていくだろう。
寂しさや悲しさ、また思い出は消えることはないけれど、それでも私はもうどこにもいない。

これまでの私の周りにあった死もそうであったのだから、当然の理だ。

やっぱり切ない。


だからと言って「切ない、切ない」と嘆いて生きている訳にもいかない。
私はまだ生きている。

大事な人達がいる。

彼らといつお別れすることになっても、「ああ、あの時もっとこうしておけば。」と思わないように、最後に会った時の相手の顔が笑顔であるように。

どれだけ泣いても悲しんでも時が経った時に相手の笑顔を思い出せるように、相手に私の笑顔を思い出してもらえるように。


どうやって生きていこうか。
地に足をつけて、私はここにいるんだとちゃんと意識できるように、しっかり生きていきていきたい。


入院してからぼんやりながら考えていたこと。


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明けすぎましたが、おめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

この年末年始は入院で12月のはじめに1週間も休んだのに、28日から5日までさらに休んだ。
チーム全員休むから。

周りはほぼ既婚者ということもあり、もう年末年始に会って飲もう!!なんてお友達もいなくなってしまったので、

ひたすら、「飲む・食べる・寝る・DSでレイトン教授」 のぐうたらな生活。

予定も無いのに長いこと休むもんじゃない。


そんなダラけた生活の一方で、31日と2日はホットヨガと岩盤浴に行って、ホットヨガは2011年の始めの頃から、「やってみたいなぁ。」と思っていたので、2011年の最後の最後で実現できてちょっと嬉61YLTseEwjL._SL500_AA300_.jpg
い。

一方で、緩んだお腹のために「カーヴィダンス」のDVDを買って、2日ほど頑張ってみたが腰が痛くなって中止。
腰に爆弾抱えている人は、注意しないと結構危ない。



そして仕事も始まって、4日目。

いやぁ~もうびっくりするくらい、やる気が無い。
やる気がないというより、働く気は十分にあるんだけれど。。。

入院して、お正月休みをたっぷりもらって、十分に休ませてもらったし、ホットヨガに行って汗かいてスッキリしたし、気持ち新たにスタートできるかと思っていたのだが(><)

引かれていたラインは薄くなるどころかますます濃くなってる。
ラインっていうよりかもう溝なのかも。

何をやっていてもすごく他人事のようにしか思えない。


仕事に対する自分自身の気持ちをもう少し掘り下げて整理して、覚悟と、いい意味での諦めをもって仕事(責任)を果たさなければならない2012年になりそう。


未だ日々を惰性で過ごしているので、もう少しシャキッとしないとなぁと思いながら2012年のスタート。


・体重をあと1,2キロ落としてキープする。

・バレエやホットヨガに真面目に通う。

・言葉の使い方を意識する。

・基本情報処理技術者の資格をとる。

・この先のありたい自分を具体的にイメージできるように考えてみる。

・大切な人達との時間を大切にする。


どれも抽象的だけど、地に足つけて、現実も自分自身も受け入れて、上手に折り合いつけて生きていきたいなぁと思う。


おみくじ3回引いたら、3つとも 「大吉」だった。

いいことあるかな。
 
  
     
退院して復帰早々21時過ぎまで残業だった。
すんごいモヤモヤすることもあってぐったりした。

喉の調子も良くなって、浮かれてバトミントンしたら全身筋肉痛になった。

寝違えたのか左の肩甲骨が激痛ではや3日目。
だいぶ楽になったけど。

・・・。

もう12月はトータルして満身創痍。
1年間のたまった膿が全て出し切れたんだろうか。


2011年。


仕事に始まって、仕事に追われて、仕事に追い詰められて、仕事に泣かされて、仕事に心を折られて、そして最後は心身共に本当にダウンしてしまうという、何だかとても情けない形で終わってしまった。

仕事は本当に辛かったなぁ。

今年は自分自身をみつめようという思いもあり、1人の時間では手帳やノートに気持を書いたりして整理したりしていた。

それを読み返してみると、まぁ暗い。

「ツライ。ツライ。×100」
「辞めたい。逃げたい。投げ出したい。」
「しんどいなー。倒れたいなー。」 (→別に倒れたくない時に倒れたけど)
「どうしてこんなに根性がないんだろう。」
「甘えてる。我慢が足りない。」


そんなことが、ここまで・・・と感心するくらいぐるぐる書き連ねている。
あーしんどかったなぁ。。。って今でも思う。


9月10月の拷問のようだった精神的なしんどさを超えてからは、あまり書き連ねることはなくなっている。
自分の中で気持ち的にラインが引かれてしまってから。
いい意味で強くなれたような気もするが、それでいいのかという新たな葛藤が生じてしまった。

しかしぐるぐる書き連ねている手帳を読み返してみて、

「何て自分はダメなんだろう。」

と落ち込んで苦しんでいる一方で、

「どうやったらいいんだろう。」
「どういった意識の持ち方をしたらいいんだろう。」

自問自答して冷静に打開策を考えている様子も伺えたりする。

ちょっとだけど人として成長できてるのかなーと思う。
辛かったし今でも嫌だけど、無駄な時間ではなかったしちゃんと見に着くことは出来てたんだろうと信じたい。


今年も去年作ったおせちを作った。image.jpg
「りんごきんとん」 「紅白なます」 

きんとんを作るのにミキサーで攪拌していたら途中で壊れて動かなくなり、去年よりざらっとしたきんとんになってしまった・・・。

他には 「ローストビーフ」と「タコのマリネ」を作って、母が「煮しめ」と「黒豆」を作った。


辛かったけれど、こうして去年と変わらずおせちを作ったりできる変わらない日常があることは嬉しいことだと思う。


今年も本当にお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
 
  
     
10月が終わった。2日前に。

10月の一ヶ月間。

良いことや嬉しいこともあった。
でもしんどいことも多かった。

しんどい、というより気持ちや考え方の切り替えを求められてたような感じだった。
そんな指令が出たわけではないけれど、そうしないとこの先もっと苦しくなることがすでにわかっているような。
目に見えない漠然とした何かに追い立てられてたような気がする。

自分自身の感情と公の世界であるべき自分と。
そこのラインをしっかりと引く。そのラインを見極めながら、公の世界でいかに自分の感情に振り回されず、それでいて自分の想いをどれだけ持ち込めるか。

自分自身でしっかり立ってないと、かなりキツイ。
気持ちの切り替えについては果てしなく下手くそなので、それもキツイ。


そしてふと、「何で私がそんなコトまで考えんといけのんかー!!!」と思ったりする。


まぁでもしんどいながらも、9月の終わりごろの地獄に比べたらマシだし、ほんの少しばかりは前に進んだのかな。

進んだと言うことにしておこう。苦しいが。


11月も平和でありますように。

  
     
30歳になった。

何ともいえない気持ち。
でも決して否定的ではなく、感慨深い。

学生の頃は元より、社会人になっても30歳の自分を想像できなかった。
自分がちゃんと自分として生きていけてるのかさっぱり分からなかった。

自分が自分としてちゃんと生きているのかは分からないけど、とりあえず昔に比べて幾分か生きやすくなった。
無駄に年をとってるわけではなく、それなりに色々な経験が身についているんだな、と思った。


1年間を振り返ってみてどうだっただろうと思う。


「自分を組み立てなおす。」


そんな1年だった気がする。


29歳は号泣から始まった。辛くて悲しくて、声をあげて泣いていた。

それからは何があったということもなく仕事ばかりで、友達ともお互いの生活の変化により遊んだりする機会も減り、また何人かの友人とはこちらから疎遠になったり向こうから疎遠にされたりした。
意識的に人間関係を整理した。

ちょっと簡単な一人旅をしてみたり、ひとりカフェして自分の考えをノートに書いて整理してみたり、今までとは違う自分の時間、1人の時間が増えた。


そうする中で考え方が少し変わったと思う。

以前は友達との関係に固執する一方で関係性に不安になったり疑心暗鬼になっていたけれど、今は友達との関係は自分が大切にする限り壊れはしないんだと気がついた。

それは少々離れていても崩れはしないし、私が困ったときに友達はいつだってそこにいてくれるし、私も彼女達が困ったときはいつだってそこにいる。
それでいいんだなぁと思う。

また、最近までずっと地元を離れることは私にとってありえないことの一つであったけど、久しぶりに市内をぶらついてずいぶんと様変わりしていて何がどこにあるんだか分からなくなっていて、

「あー、どこに住んでも変わらないんだな~。」

と気がついた。
どこに行ってもやっていける、ものすごく根拠のない漠然とした自信のようなものがあった。
そうは言っても、年老いた両親とか祖母とか大好きな友達とか現実を考えると違うところに行くつもりも無いし、私が住む場所はやはりここだと思うけど。


そんな肯定的な組み立てなおしの一方で、仕事においては今までのダメさ加減をまざまざと思い知らされた。

自分の無能さや限界、逃げたくて投げ出したくて仕方がない気持ちでいっぱいだったし、それは現在進行形。

今までのやり方や考え方を見直さなければならない。
私に素晴らしく足りていない、待つこと、聞くこと、伝えること。

それが少しでもできるようになるまで、ここから逃げられないし逃げてはいけないのかなーと思う。(でもやっぱり嫌だ・・・。)


「自分を組み立てなおす。」


それは始まったばっかりで、今もまだ全然立て直されていない。
むしろ散らばっている方が多い。散らばりすぎてもう何がなんだか。。。
ていうか人の性格なんてそう簡単に変わりはしない。

だけど、30代が始まってこれから40歳になるまでの10年間に、少しでも心地よい形に組み立て直していきたい。


そんな感じでこれからもよろしくお願いします。


  
     
先日、仕事で作業をしていたらパテーションで仕切られた向こう側で、他の課の課長が自分の部下に説教をしていた。

「あんたにはコミュニケーション能力がない。」
「あんたに欠けているのはコミュニケーション能力だ。」
「コミュニケーション能力が無ければいくら仕事の業務が出来たって何の意味も無い。」


「お前にもないだろうがっ!」


この課長自体がはっきり言って大嫌いなので、パテーション蹴破ってそう言えたらどんなにスッキリするだろうかと妄想しながら、聞こえているこっちまで落ち込んできた。



コミュニケーション能力が無い。
全く無いとは思わないが、大事なところが欠けている。


ずっと何年も前から何となく感じていてモヤモヤしていたことが、プロジェクトに参加するようになってからどんどんモヤモヤが大きくなっていて、特にココ最近は実はずっと思っていたこと。

それをパテーションを通じて聞かされたことは、必然的な何かだったのかと思ったり。


よく「社交的」だったり「明るい」とかだったり言われ、また良くしゃべるので「コミュニケーション」にも問題がないように思われるが、単に「緊張感」がなく「集中力」が継続しないだけ。妙な沈黙が苦手なだけ。


ある事象や思うことがあって、それが今どういう状況になっていて、何が問題なくて何が問題になっているか。それがどこに進もうとしていて、それを自分がどう認識していて、自分として又は一つの案件としてチームはどう思っていてどうしたいと思っているか。

そこをきちんと相手に伝えることが出来ない。どうも感覚で捉えているのか言葉に出来ない。または要点がまとめられず話しながらどんどん拡がっていって当初の論点が自分でも見えなくなる。


言葉に出来ない、要点が拡がるとかならばコミュニケーションというより「伝える」ということや「問題点を明確にする」ということがまず第一だが、私の場合仮にそこをうまいこと組み立て相手に伝えたとしてもその後の相手とのやりとりが致命的。

仕事においてこの致命的欠陥がどんどん浮き彫りになってきて、自分がこれまで生きてきて人間関係においてうまくいかなかった数々のこと、そして結果的に今ここにある現実(プライベートでも仕事でも)というものは、自分のコミュニケーション能力の稚拙さが招いていたことが多いのかもしれない。

相手あってのことなので、自分ひとりがおかしかったことが全ての原因とは思っていないが、自分にもう少し伝える力だったり相手の伝えたいことを受け止める力だったり、自分の感情を出しすぎず抑えすぎずに相手の言っていることを理解して、自分の言っていることを理解してもらう。


それが出来ないと辛いなぁ、と言うか辛い。
  
     

カフェと喫茶店の違いは何か。


私の感覚ではカフェは若者が経営し、若者が集まるところ。
色々趣向はこらしてレトロ感を出してはいるが、どうやってもレトロ感であってレトロではないところ。
またはまさにモダン。北欧スタイル、はたまた有名なインテリアデザイナーの家具をそろえたオシャレ感満載なところ。
とにもかくにも「おしゃれ~」な感じを全面に打ち出しているとこと。
いわゆるタウン誌なり雑誌なりに「ゆるりカフェ」だったり「カフェ風の家」とか紹介されたりする感じ。

そしてそこに集まる人間の80%は20代の女子で10%は30代のきっと独身だろう女性、5%はそれ以外の女性、残りの5%は彼女に連れられてきた男性か、「趣味はオシャレ」に違いないだろうとてもオシャレに気を使っている男性が集まるところ。


では喫茶店とは。

まさにレトロ。レトロ感とかじゃなく、レトロ。
椅子は赤や緑のビロードぽかったりアール・デコを頑張って真似したような木製のいす。
テーブルは必ず対面式で2人掛けか4人掛け。それらの配置も規則的。そして紙ナプキン。
オシャレ感やオシャレな料理、デコレーションよりコーヒーや紅茶の方が大事。それぞれのこだわりがある、もしくは全くないかの両極端。

そしてそこに集まる人間の80%が40代以上。80%のうち半分以上はおそらく60代以上ではないだろうかと推測されるような人びと。モーニングが好きなおばあちゃんにおじいちゃん。煙草と新聞を片手にコーヒーを飲むサラリーマン。隣のおばあちゃんやマダムが読んでいる雑誌は「女性セブン」か「家庭画報」。


以前は私が定義するところのカフェが好きでよく新しいカフェを見つけては友達と行ってランチを食べたり、とても可愛らしく盛り付けられたケーキやパフェを食べながら、ソファにくつろいで長いことおしゃべりをしていた。
カフェを見つけたり探したりすること自体も楽しかった。


それがここ最近は、喫茶店が落ち着く。


歳を重ねて行くにつれ、いつでも気軽に友達に声をかけて遊ぼうという環境ではなくなり、1人で過ごすことが多くなり、それで街にでてプラプラして一息つきたいなと思ってカフェを探してみると、1人で気楽に入ってのんびり過ごせそうだと思うカフェがない。

どこのカフェもおしゃべりに夢中なにぎやかな女の子たちや、1人で来ていてもそこの店員と仲良しの常連といった雰囲気の子でひしめきあっている。(自分も今まで散々にぎやかにやっていた訳だけど・・・)

 
ただの自意識過剰だと言われればホントその通りなんだが、入りにくいことこの上ない。


じゃぁドトールやタリーズに、となるとそれはそれで行くし普通に気楽に過ごせるのだが、喫茶店でのあのいつかの時代にトリップしたような不思議な空気感や、客に対する無関心さというか距離感がああ落ち着くなーと思う。


しかし、どんどん減っていく喫茶店。
こんな若者(喫茶店世代からすれば)もいるので頑張って残り続けて欲しいと思う。
  
     
さて、天気予報はどこにあった!?






シジミはちょっと厳しいね。
最近は花柄ブラッコに衣替え。



こっちも好き。




しばしの癒し。
  
     
女教皇 逆位置
gyakuonnakyoukou.jpg
冷酷さ。浅はかな考え。冷淡。神経質。無知。利己主義。表面的な知識。

他人に対してイラッとしてしまう冷淡さ。

周囲から「冷たい人」と思われるような冷酷さ。頭脳ばかり使っていて精神的余裕を失っている。

自分の世界に閉じこもりがち。



今年の始め頃、友人に「今年の1年」ということで見てもらった時の1枚。

その時は「そうかぁ~、気をつけよう。」って位の軽い気持ちしかなかったが、ここ数ヶ月の自分はまさにこのタロットそのもの。


破綻の道へと進むプロジェクト。(実際破綻する訳ではなく、どうにもこうにもならないなりに何とかなるんだろうが。)

行き先を見失ってスケジュール管理すら危うくなっている責任者。それにイラつく自分。

何をしていいか分からず考えず、そして1人で勝手にオーバーフローになって泣く若者に、実際彼女も可哀想な立場だよね・・・と思いつつも、

「いや、元々君こそがここの社員なんだし、私よりいい給料もらってんだからさー。泣きたいのはというか悔しいのはコッチですよ。あなた、私の半分も仕事してませんけど?」

なんて思ったりして、もう優しさ0%、冷たさ100%な自分。

たった一つのほんと小さな問題点に、チームリーダーに相談するわけでもなく、判断を仰ぐわけでもなく、ひたすら何枚もの検討資料を作り続け、1週間悩み続ける人に、

「1週間も考えなきゃいけないことか??ただの自己満足でしょ?」

と、呆れ心のどこかで馬鹿にしている自分。


全くもって、自分がじゃあ一体どれだけの人間で、どれだけの事を成し遂げてきたか?一体何様なんだ?と思う。


このプロジェクトが全然面白くない方向に進んでいることは私のせいではない。

こればかりはどう考えても責任者以上の上の立場の人間の責任で、下っ端も下っ端でただの兵隊にすぎない私がどうのこうのと出来ることではない。


しかし、そこにいる私の様々な言動・感情はプロジェクトのせいでもなく、責任者のせいでも若者のせいでも他の誰のせいでもなく、自分のせいに他ならない。


プライベートでも、何があったという訳でもないがちょっとしたことにイラついたり、人を斜めから見たり。

何よりなんだかいまひとつペースがつかめない。


仕事も、プライベートも、正に「女教皇 逆位置」。
自分でも閉じてるなぁと思う。


どうにかして仕事を穏便に辞める、辞めると生活困るので今のプロジェクトから離れる理由はないか・・・。
どうにかして自分が勝手に作り上げてきたしがらみから離れるきっかけはないか・・・。


方法① 事故にあう。
方法② 大病する。
方法③ 妊娠する。

方法③はまず無理だし・・・。というよりそれ以前の問題だし。

方法②も腎機能の低下の兆しぐらいじゃどうにもならないし。

方法①も自分から車につっこむ勇気はないし。


・・・。


世の中が大変な時に、もっともっと大変な人がいるというのに、ものすごくふざけたことを言っているのは重々分かっているし、そんな楽しくないことばっかり考えているから楽しいことにならないんだろう、とは分かっているが、なかなか八方塞がり。


心の整理整頓。
  
     
他の人もやるし(行くし)と自分で勝手に他人を言い訳(理由)にしたり。
自分だけしなかったら周りからどう思われるだろうとか、人として問題なんじゃないかとか自分で勝手に想像して思い込み、誰に向かってか知らないけど皆に無意味にいい顔をしたり。

想定外のケースが起きた時の覚悟も全くないくせに、本当は全然やりたくない、行きたくないと思っていることをするのは、金輪際二度としない。


他人を勝手にあてにして言い訳にしても、社会性や常識に勝手に縛られてそれを言い訳にしても、どんな事情や思いがあったとしても、決めたのは自分自身。


それで結局、自分の時間やお金を無駄にして、何より感情を持て余し自分で自分で攻撃して自分の心を殺したんでは、あまりにも愚か。

そうまでして自分は何を得るのか。また得たのか。

心がささくれだって、顔も険しくなるばかり。


それで人との関係性が壊れたり、友達無くしたり、最終的に一人ぼっちになったとしても、それはもうそれで仕方がない。
  
     
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