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   ただよいながら…
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先日、ある人と長々とどうでもいい話だったり人生話だったりをしていたらこんなことを言われた。


「これからは自分で決めたらいいよ。octobreちゃんはもう自分で決めることが出来ると思うよ。」



私は自分で何かを決めることが非常に苦手だ。

そうは言っても結局のところ今までの人生は自分で決めたことなんだけど、今ひとつ自分で決めた実感が持てなかった。(といってもこれまでの人生に後悔はしていない。)

自分で決めたという感覚よりは、そうなった結果ある今をどうやってやり過ごすか乗り切るか、という事の方が重要で、そこにある自分の感覚はもちろんあるはずなんだけれど、今ひとつ分からなかった。
このblogのタイトルのように、ずっとただよってた。


自分のことを自分で決めるという多分みんな普通に自然にやっていることなのに、私にはそれを迫られることが恐怖に近いことだった。


そんな私が完全に道を見失っていたとき、落ち込んでいたとき、どうしたらいいか分からなくてパニックになっていたとき、消えてしまいたいとずっと思っていたとき、大切な友人達や恩師がいつだって励ましてくれて言ってくれていた言葉だった。



ようやくつながった気がした。

「ああ、そういうことなんだ。」 と。



もちろんその時その時の励ましやメッセージ、時には叱咤は本当に嬉しかったし、ありがたかった。
今でも心から感謝しているし、その時に彼女達がいなければ私は本当に孤独だったし耐えられなかった。

でもどうしても噛み砕けなかった。
言ってくれてる意味はとてもよく分かるけど、どうしてもその言葉を自分自身が受け入れられなかった。

そう言ってくれてもやっぱり自信がなくて怖かった。


でもやっと、とても自然に自分の中に入ってきた。


長いことずっと独りよがりでもんもんと勝手に悩んで苦しんでいたけれど、その長い時は無駄じゃなかった。
(逆に言えばそれだけの長い時間をかけないと私には分からなかったという訳でどんだけ・・って感じだが。)


久しぶりに、本当に年単位で久しぶりに涙がでた。
次から次へと流れ落ちる涙にびっくりした。



まだまだこれからだけど。


でも今までよりは自分の人生に責任がもてる気がする。

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今日で1年の半分が終わる。

恐ろしい・・・。

絶望の2年間と、空白の1年間が過ぎていって、それから今年の1月から3月までは、自分としてはいつ落ちてしまってもおかしくないような精神状態で、ほとんどの人は気がつかなかった、もしくは気がついても触れてこなかったけれど、本当に崖っぷちのような感覚だった。


だけど4月から仕事が変わり、何となく周りの環境が変わって行って、ちょっとずつ、本当に誰も、自分すらも動いているとは気がつかないようなとてもゆっくりとした速度だけれど、前に進みだしたような気がする。


相変わらず思考回路はひねくれているし、人付き合いも昔に比べて随分と悪くなった。(現実的に遊べる友達が減ったというのもあるし、会いたい、遊びたい人間が限定されてきた。)


外に出るより家にいるほうが楽だし、ご飯やお菓子も前よりも食べれなくなって、お腹がいっぱいの感覚がわかるようになってきた。
昔は食べても食べても足りなかったのに、随分と代謝が悪くなった。(ケーキのホール食いをやっておけばよかった。)


相変わらず被害妄想も激しければ、不安感も未だここにある。


でも。何かが違う気がする。


それはいいことなのか、悪いことなのか。


今は良くても、またいつかどうにもこうにもならない時はきっと必ず来る。

基本的に後ろ向きなので、それには絶対的な確信がある。


でも。

今の状態はいままでになく穏やかで。(浮き沈みはしょっちゅうあるけれど)


今のままでもうしばらく頑張って行きたいな。と思う。


残り1/2。


友達と、家族と、お金(生活)と、平和であることが何より大切。
  
     

半年くらい前だったか。

久しぶりに再会した友達とご飯を食べてて、ふとしたことで人間関係の話になった。

彼女はあまりにも沢山の人とつながっていて、つながり続けようと毎日忙しくしている姿をみて彼氏に言われた言葉。


「色んな人とつながっていったり、つながって行こうということはとても大切なことだけど、そこにばかり一生懸命になっていると、本当に大切な人、大切にしなければいけない人を大切にできないよ。」


何と言うこともなく聞き流していたけれど、最近よくこの言葉を思い出す。


その通りだな、と思う。


私は小学校中学校で人間関係に色々と失敗をしてきたのと、他人からはしっかりしているように見えるけれど実のところ自分自身の存在や感覚があいまいなので、そのせいか友達関係にはひどく敏感で必死だった。

だからかどうかは分からないが、結果的には比較的多くの友達に恵まれた。

だけど、全ての関係を保とうとすればするほど消耗する自分がいた。

関係を保とうとすることや続けていくことに必死で、自分の気持ちは置き去りで、彼女達が私に抱いているだろうイメージを想像して、その通りに過ごすように努めていた。

ただここ数年の気分の浮き沈み、そしてこの冬の崖っぷちから何とか生き残って、色々と気持ちを整理していくなかでだんだん無理を感じてきた。


そして、最近ある友達からどう考えても腑に落ちない、私という存在をないがしろにされているとしか思えないような言動をとられて以来、冒頭のセリフがずっと頭にある。


全ての人と楽しく仲良く笑って過ごすのには無理がある。


私は、私が大切にしたい人、私を大切に思ってくれている人、今自分の周りにいる人、いてくれる人達を大切にしよう。

私には彼らがいればいい。


もちろん今ある関係以外を拒否する、今ある関係を断ち切るという訳ではなくて。
新しく生まれる関係ももちろんこれからもあるし、それはそれでとても大切なこと。

ていうか、それがないと私一生独りだし。

でも、今までのように色々な人と頑張って出会ってたり笑顔で接して、相手の本音も見えない、こっちの本音も出せないような関係をよく分からないまま一生懸命続けたり、頑張ったりすることは多分出来ない。


大切なことや大切な人を見失わないように、ちゃんと見つけられるようになりたい。

  
     


友達からの完全な受け売り。友達、引用します。ゴメン。


「世の中には周りを研く人と研かれる人がいて、周りを研く人は一見困ったチャンなんだけど、それによって周りの人が忍耐力を養ったり自分の生き方を振り返ってみたりするきっかけを作ってくれる人のことだよ。」


私にとって責任者は私を研いてくれる人だったんだと、友達に教えてもらって気がついた。

で、今ものすごく反省中。


結局、責任者とはあまり良い形でない悲しい終わりを迎えた。


結果論で言うと(今さら体裁つくろっても仕方がないのではっきり言っちゃうが)、良かったと思う。
お互いにとって。

このまま行けばもっと大変なことになっていたと思うし、グループも崩壊寸前だったし、私自身もかなり限界に近かった。


だけど多分、もっとやり方があったはずで、私はそれをしなかった。

分かっていたくせに、分かってなくて文句だけ言って何もしなかった。


今さら過ぎるけど、もうどうしようもないけれど、こんな形はもう嫌だし、良くないし、同じ事を繰り返してはいけない。繰り返したくない。


それを、責任者は教えてくれたんだと思う。

ただの都合のいい言い訳かもしれない。


でも、こういったことがなければ私は分からなかった。
 

  
     

仕事の愚痴はさておいて、今日は起きたら右目がお岩さんになっていた。

次から次へとまあ・・・。 すごいね。


仕事中、用があって部屋を出たら同じ部の人と出くわした。

仕事してるところ知らなかったら本当にただのオッサンだけど、ちょっと、いやかなり変わってて面白いコロコロした人。

私が働く部屋が変わったので久々に会ったこともあり、しゃべりながら一緒に廊下を歩いていたのだが、私が、

「も~何かずっと追われてる感じで疲れるー。」 

と、何とはなしにぼやいたら、このオッサン!



「うんうん。 そうやって婚期が遅れてく・・。プププッ!」



一瞬何を言ったのか分からなかったくらい、あっさり楽しそうにつぶやいた。


ププッって!


まぁ面白くて笑ったけれど・・・考えてみると、今のこの新しい仕事と同じボリュームの仕事が10年くらい前にあったらしいのだが、その時に私くらいの年齢でその仕事に従事した女性達・・・。
 


未だその9割が独身。



いつの間にか、目の前にはレールがひかれていたようで・・・。


そもそも自分がいわゆるこの適齢期真っ盛りに結婚とか出来るなんて学生の頃から思ってなかったけど(そもそも結婚できるなんて思ってない。)、仕事が原因で婚期逃したとか嫌だな。


明日から5連休。

休日出勤しなくてすんでひと安心。

  
     
いつからなのか、と考えるといつからだったのか分からない。

多分去年からなんだけど、何せ何をやっていたのか記憶がない。

ただ、漠然と自分の心の隅から徐々に麻痺していくような、ギリギリのラインが徐々に近づいてきているような感覚はあったと思う。

今年に入って、どんどんおかしいかな??と思いながら、でもだからといってどうすればいいのか分からないし、どうこうする気力も全く沸いてこないし、むしろある意味その感覚に慣れていた。


でもその限界は必ず来るもので、2月の中旬から3月の上旬にかけて1ヶ月弱ほど、気がつくと、自分がものすごくギリギリのところに立っていた。

「やばい、壊れる。」

「落ちてしまう。」

「ギリギリすぎる。」

ずっとこの言葉たちが頭の中をグルグルしていた。

何がギリギリなのかどこに落ちていくのか今でも分からないけれど、今いる場所がギリギリのラインでその先に進むと落ちてしまうという感覚、焦燥感と恐怖だけはしっかりと自分の中にあった。


助けて欲しい。


でも何を?

助けを求めようにも何を助けて欲しいのかが分からなかった。
言葉がでてこない。気持ちを表現できない。

というよりも、声を出したら 「終わり。」 だと言う気がしてならなかった。
泣き叫びたいような気持ちなのに、声を出したら最後、私は落ちて終わってしまう。

何を言ってるんだ?と自分でも思うし、自分が 「おかしい。」 と言うことは何より自分が一番分かってた。

ただじっと、今までどおりのいつもの日常生活を送りながら、その状態から脱することに必死だった。

そのおかげか徐々にその状態から脱することが出来た。
ギリギリのラインはすぐそこに見えているけれど。

それでもとてもホッとした。
何より胃痛から解放された。

何故その状態から脱することが出来たのか分からない。
まあ、何でそんなギリギリのところに立ってるのかもわかってなかったんだから当然だけど。
一応これでも大学の専攻が心理学だったことが幸いしていたのか、何だかんだいっても図太い性格なのか。


いっそ落ちてしまった方が楽かと何度も思ったけど、でもやっぱり落ちてしまわなくて良かったんだと思う。

落ちる勇気がそもそもないんだけど。
  
     

「自分に甘く。他人に甘く。」


2009年はそうやって生きていこうと決めた、今年のはじめ。

 

結果。


別にこんなこと決めなくても、私は自分に甘かった。


むしろ、この1年の記憶の無さからしたら

「他人に無関心。自分にはもっと無関心。」

な1年だった。(他人に友達は含まれていない)

 

信じてもらえないかもしれないが、人と会って話すのが難しかった。

あんだけしゃべってたのに?と思うかもしれないが、難しかった。



しょっちゅう会っている友達や人に対しては意識することなく普通に会って話したり笑ったり愚痴ったり出来るのだけど、久しく会っていない人達や初めて会った人、あまりしゃべったことのない人達と話すのは今まで以上に難しく、すればするだけ嫌になった。

自分がしゃべっていることが本当に自分がしゃべっていることなのか、自分が考えていることなのか、自分の意見なのか何なのかよく分からなくて、自分自身がとても中身のない人間なんだと突きつけられるような感じだった。


まあそれも「他人にも自分にも無関心」 だった結果なので当然と言えば当然なんだが。


思っていることや言いたいこと、誰かに聞いてもらいたいことや聞いてみたいことは沢山あったハズなのに、それを言葉にするということがどんどん難しくなって、気が付けばいつも携帯ゲーム相手にひとり遊び。


予定がなくて暇だなー、何か寂しいなぁ、と思うことも多々あったのだが、誰かに連絡したり会ったりしても何を話したらいいのか分からないし、何か話すような出来事があった訳でもないのに会っても相手も面白くないだろうなぁとか、余計なことまで想像(妄想)して、考えることばかりが先走って、そしたらもう嫌になってやっぱりひとり遊び。


幸いにもバレエがあったので完全なひとり遊びではなかったのと、ありがたいことにそんなヤツにでも連絡をくれる人もいてくれて、会ったら普通に楽しかったりするわけで、別に何も深く考える必要はないのに。



私って結構な引きこもり体質なんだなぁ。

昔はしょっちゅう色々な人に連絡とって毎週というか毎日のように仕事の後だろうがなんだろうが遊んでて、本当に元気だったなぁ。


とらえどころのない1年だった。

  
     

新型インフルエンザにかかったけれど幸いにもたいしたことにはならず、咽喉の調子が今ひとつ良くならないながらも、気が付けば12月も半分過ぎた。

この1年どうだったかなぁと振り返ってみた。



記憶が無かった。



思い出すのは屋久島の旅。

あとはひたすら携帯のゲーム【いただきストリート】をしてたな(現在進行形)、という記憶。



これだけ???



驚いて手帳を見返してみたら、結構それなりに色々してた。
簿記検定に合格したのが今年だったことに驚いた。忘れていたことにも驚いた。

屋久島に1年分の思い出を使い果たしたのだろうか?
そりゃ屋久島はとてもとても楽しかったけれど。


去年や一昨年のように苦しいとか辛いと思ったり生きにくさを感じることもなかったが、怒ることもなく、悲しむこともなく、何かに強く感心や興味を覚えることもなく、頑張ることもなく、何を考えていたのかもさっぱり分からないし、思い出せない。


いや、そういえばこの歳にもなって社会人としての基本について色々言われて、社会人&人間失格だと思ったわ。
あれから少しはマシな人間になったかな。



あまりにも他人事のように生きている気がするので、来年はもう少し自分のことなんだとしっかり生きた方がいいのかもしれない。


さてさて。

  
     

先日、職場であるスポーツイベントがあった。

私は応援に徹し、職場のチームは大奮闘。

とまあ楽しい1日だったのだが、言いたいことはそんなことではなく。


全社あげてのスポーツイベントで、色々な営業所や支店から老若男女が集まってとても賑やか。



女性達の服装も、とても賑やか。

スカート・ワンピースにパンプスは当たり前で、ピンヒールの人もいる。
中には、「今から結婚式の2次会?」 と言うようなきらびやかな格好をした人も。
パンツスタイルを探す方が大変。

屋外での競技なのに。(屋内でもあったけど)


一方、職場柄年齢層が高い(経験年数が高くないと配属されないので)私たちの職場の女性は、全員デニム・・・。

今日はデニムがドレスコード? って言うくらい見事に全員。

自分はどちらかと言えば一応年齢層低い側なんだけど、もちろんデニム。


そして、トイレに行ったら洗面台の所に女性が2名。化粧直しをしている。
私とその時一緒に行った後輩が、順番待って、用を済まして、手を洗って、トイレから出るまでずっと化粧直し。まだ終わりそうにもなく。


その間ずっと2人のうち1人がつけているアイシャドウについての話題。


「えー、それどうしたんですかー!?前、言ってたのですか?」

「そうなんよー、とうとう買っちゃったー!」

「可愛い~!!それ、ずっと私も欲しいと思ってたんですよ~。」

「前から緑の色が欲しくって~。でもねー何か可愛いすぎたかなーって思ってるんだけどね~。」

「えー、そんなことないですよ~・・・うんぬんかんぬん・・。」



が、ひたすら続く。いや、続いている。


今まで自分の職場で、アイシャドウの話であんなにも話が盛り上がったことは一度もないし、だいたいにして何のアイシャドウを使っているのか知りもしない。

というか話題にするほど興味もない。


トイレから出て後輩と「なんかすごいねー。」と感心し、とりあえず後輩に 「何のアイシャドウを使ってるの??」と、聞いてみた。

アイシャドウはつけないらしい。マスカラはばっちしだけど。

話題不成立。

女子的会話終了。



「同世代の女子達が集まるとああ言う話をするんだ・・・。」

「これが、女子なのか。」

「能町みね子が言っていた”モテ女子”という者はこれか!?」


どうも聞くところによると、営業所や支店の女子ロッカーでは、つけている下着1つで盛り上がるらしい。

「可愛い~!」 「どこで買ったの~??」 と・・。


ユニクロのヒートテックなんて着ないのだろうか。

あったかいのに。


いやあ・・・カルチャーショック。

  
     
髪を切って1ヶ月。





飽きた。




切ったことは後悔していないが、飽きた。

ブローとか髪をとかすとかもうヤダ。

毎日アイロンやらコテやら何やらでお手入れしている女子を尊敬する。

私、無理。無理無理!




ていうか、確か結べないくらいの長さだったのに、もう結べたりしちゃってる。


伸びるの早すぎ。
  
     
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