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   ただよいながら…
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就職して8年になる。8年生。

就職活動時、全く見向きもしなかった業種というか業界に送り出されて8年。
正社員なのに派遣社員という未だに自分でもよく分からない形態で働いている。

その業界のごく一部の分野ではあるけれど、仕事によってはそこの正社員より業務知識は深いこともある。

明らかに私の半分も仕事をしていない、マイペースが人間になったような、正にこれがゆとり世代か?と、出来ることなら怒ってやりたいと思うこともある3年目のそこの正社員とお給料が同程度、もしくは低いかもしれない現実に、たまに悲しくなる。
(と言っても結局はそういう会社にしか就職できなかったのは自分でしょ?ということなんだが)


愚痴はさておいて、それでも態度がでかいながらも8年もそこにいさせてもらえているということは、それなりに少しは役に立てているのかな、と思うし、何より8年もよく続けたなーと思う。

今後同じ場所にいるか(いられるのか)どうかも分からないし、この先普通に働き続けるんだとしたらあと30年は働かないといけないので、そう考えると8年くらいでよく続いたも何もないけれど。

それでもよく続いてるよねぇ、としみじみと感心する。


考えてみると、自分って結構続けれられる人だよなぁ・・・と思う。


バレエも10年で、今年は11年になる。

マッサージも通い始めて1年半。月に3回は通っている。

美容院は高校からずっと同じところ、同じ美容師。

歯医者は幼稚園の頃から行ってる小児歯科に今も半年に1回定期健診に行くし、

矯正歯科ももう本当は終わってもいいのだが、未だに半年に1回メンテナンスに行く。

自分は食べないカスピ海ヨーグルトを3年近く毎日作っている。

友達関係も基本的に自分からは切らないので長い付き合いの子ばかり。(逆にもう友達の作り方が分からない。)


どれも小さなことで、続けていると言えるようなことじゃないのかも知れないけど。

もともと変化に対する免疫が極端に少ないせいもあるのだが、それはそれで「続ける」という点ではマイナスではないのかなと思ったり。



逆に続けることが出来ないのは・・・


恋愛関係だね。
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1月の半ばからヘコむことがあったり、傷つくことが起きたり、落ち込むことがあったり、とてもショックなことが起きたり。
ひとつひとつは小さな出来事だけど、その割にダメージが大きかった。

気持ちの落ち込みやストレスが身体に出るタイプなので、それに合わせて腰を痛めたり膝を痛めたり、頭痛がしたり。

その度に落ち込みながらも自分を肯定的にとらえようとしたり、身体を動かしたり、自分自身の時間を有効に使おうとしたり、すぐ悪い方向へ考えるのではなく、考えたとしても最後にはなるべく前向きな気持ちを無理やりでも持つようにしたり、自分なりにあれやこれや試しながら気持ちの整理をつけるように努めていた。


そんな日々が続く中、今日は気分転換も兼ねて久しぶりに映画を見に行こうと出かけた。

その映画は1日限定上映の作品で、あらすじをみても気持ちが優しく明るくなりそうで、是非観に行こう♪と前々から決めていた。


電車から降りるととても寒くてみぞれも降ってきて、空はとても鬱々として、朝から軽い頭痛がしていたけれど、それでも私はとても楽しみにしていた。

 

それなのに、私は財布を忘れていた・・・。
(バスカードはあったので電車には乗れた。)

 

何かが一瞬でガラガラと崩れたような気がした。


バカバカしくて情けなくて、すべてがどうでもよくなった、怒りすら感じて嫌になった。


自分の馬鹿さ加減も阿呆さ加減も、考えすぎる割には実のところ何も考えていない自分の頭も、ぐちゃぐちゃで真っ黒な心も。

こんな些細なことでガラガラと崩れる自分のお粗末さ加減も。


そこからはもう自己否定と自己卑下、自己嫌悪に自信喪失のオンパレード。

だけど最終的にはそういうネガティヴラビリンスに陥ること自体にうんざりする。

崩れたものは戻らない。


独りよがりで勝手に頑張ってる気がして、ちょっとしたことにぐらぐらして、毎回毎回何かあっては嘆き、最後には自分のミスで勝手に崩れていく。

馬鹿じゃないのか。


映画は諦めて家に戻り、何も考えずにいられる本屋に行った。

全ての思考も感覚も停止して、本屋をうろついて、浮いたお金で本を買った。

それは良かったこと。

  
     


あけましておめでとうございます。

寒すぎ。


これまでを振り返って統計をとってみると、12月から1月、2月の時期は、どうも私にとってあまり肉体的にも精神的にもよろしくないように思う。

今年も腰が痛くなり、蕁麻疹が発生し、口内炎が1週間たっても直らず、出張先の会議(書記役)で風邪をうつされ喉が痛くなり、何かもうグダグダでしんどいばっかりで。

何だか仕事も面白い方向に行きそうにないというか、何か私結構メンドウクサイ立場になっちゃうんじゃ?って嫌な予感がするし、元々の性格が色々と先走って妄想し不安になり、その不安からさらに不安を自ら作り出すような性格なので、ここに体調不全が加わると思考回路もロクなことにならず。


そうこうして悶々としている間に、気がつけば1月も半分が過ぎてしまった。


今年はどんな1年になるんだろう。どんな1年にしていくんだろう。

年初めに考えたことが3つ。

1.「荷物の少ない、というか荷物がない女」になる。

男性は財布と携帯をポケットに入れるだけで羨ましい。
鞄が重いだけで疲れる。
本屋で立読みするのも疲れるし、色々なところをブラブラする気にもなれない。

鞄を持たないというのは難しいにしても、軽い鞄に財布、携帯、グロスだけとか、最小限の荷物にしていきたい。


2.身体を動かす。

去年は仕事が忙しいということを都合のいい言い訳にしてバレエにあまり行かなかった。
行く気も起きず。というか辞めようかとすら思ってた。
しかし、身体というものは怠けるということにはすぐ慣れるようで、10年間バレエで作り上げてきた身体貯金はこの1年であっさり使い果たしてしまい、かわりに脂肪貯金は急激に増加。
身体もすっかり硬くなってしまった。
それでこの前かなり久々に行ったら、かなり気持ちよかった。

今までのように週に何度もレッスンは行けないけれど、週に1度は行って身体を動かすようにしたい。


3.本や映画を読む、観ることにお金を惜しまない。

ここ1、2年は本を読む気も映画を観る気が全く起きなかった。
しかし最近は、暇で何をしようかと本屋をウロウロしているうちに、今までは小説だけだったのが色々なジャンルの本(といってもまだジャンルも傾いているけど)に目が行くようになった。
だけど、単純にケチンボってこともあるのだけれど、お金に対する優先順位をうまくつけることが出来ずにダラダラ使い、結果お金がなくて買えないってことも多く、そのフラストレーションは結構大きかった。

今年は気になった本や映画にはお金を惜しまず、色々な本や映画を出来るだけ多く観てみようと思う。
(となると、どこを削ろうか。。。)


だから何がどうこうなるというような大きな目標でもないけれど(目標というのもおかしな感じだが)、今年は30歳になることだし、1人の時間もどんどん増えてくることになるので、この3つの小さな目標(?)を通じて自分自身の気持ちや心の整理、コントロールをしていくことが出来る1年に出来たらな、と思う。


あと、30歳になるというのに、仕事に対して責任感を感じることがどうしても出来ないというか、これ以上巻き込まれたくないのでどうにか逃げられないかという、ここへきて非常に無責任な感情すら芽生えかけているので、本当に無責任になることなく、「これも経験であり、自分のへの試練なんだ・・・」と言い聞かせ、自分を慰めながら乗り切っていけるように何とかやっていきたい。


もうちょっと自分や現実に腹括りたい。

自分で自分を不安に貶めてしまうことを少しでもなくしたい。

何となく、何かを生み出すわけでもなく、変化がもたらされることもなく、また逆に変化を起こすこともなく過ぎていくような気がするのだけれど、気持ちや心が少しでも落ち着いて、ほんの少しでも前向きに生きていけるように。


そんなこんなで、今年もどうぞよろしくお願いします。

  
     

今年も終わり。

2009年は何の記憶もない1年だった(blog→)けど、2010年はどうだっただろう。


アップダウンの1年だった気がする。


このまま行くと二度と上がってこれない所まで落ちてしまうんじゃないんだろうかと思うくらい落ち込んで、その後仕事が変わったことをきっかけに徐々に起き上がり、気持ちもそれに伴って穏やかになって、周りの景色の輪郭が少しずつだけどはっきりしてきた。

だけど、また秋口からドーッと落ちるようなことがも起きてそのまま年の瀬。

特に11月の終わりからは身体と布団が磁石でくっついているんじゃないかと思うくらいに重苦しく、ホルモンバランスもおかしかったし、気持ちもどこか宙に浮いていた。

感情と思考、身体と内臓がなんだかバラバラでつながってないような不思議な感覚。

 ただそうは言ってもこれまでほどひどく落ちてしまうことはなく、アンバランスながらも気持ちは比較的穏やかで冷静ではあったけど。


いずれにしても、実りがあったかどうかは別として中々濃く、いい1年間だったと思う。


来年はシンプルに、安心して、穏やかに、大切だと思うこと、思う人達を大切にして生きていきたい。


友達、家族、仕事で一緒になった人たち、blogを読んでくれていた人たち。

今年も1年間本当にありがとう。

色々な日々を一緒に過ごすことができて、おかげで今年1年笑ったり泣いたり喜んだり悩んだり・・・、たくさんのことを経験することができました。

来年もよろしくお願いします。
 

  
     
金曜日、以前職場にいた人を含めて飲み会があった。

いつもならハイテンションな感じで飲むんだけど、今回はあまりしゃべる気にもならなくて、ビールとハイボールを合わせて7,8杯は飲んだんだけど、全く酔わず。


土曜日、友達との予定が流れて一人で市内をプラプラ。

何を見ても興味をそそられず、ただひたすら買わなきゃいけないものを買うためにあっちへこっちへとウロウロフラフラ。

楽しむどころか疲れてしまう。

帰り際にカレー好きには評価が高いというカレー屋さんに立ち寄ったけど、これがまた地味に口に合わずチーン。となる。
どうしてご飯が黄色いんだ。ここは日本。日本のカレーのご飯は白がいい。


「失敗」に伴って、自分がした行動や選択に後悔はしていないし、あれで間違っていなかったと思っているし、自分が感じたかすかな光は嘘ではないけれど、やっぱり落ち込んでるんだなーと、今さらながら。


地方雑誌で「鉄道の旅」の特集を組んでいて、思わず惹かれて買ってしまったのだが、これがまた

「そもそもその場所に行くまでにどれくらいかかると思っているのか?」

と、編集者に問い詰めたくなるような場所ばかり。


まぁとにもかくにも、時間が解決してくれることを待つばかり。
  
     

「失敗」というととても大きな語弊がある。

最終的には人生の道のりの1つの過程であるし、結局がそれがあって今の自分であるわけで、それを「失敗」と言ってしまうと、そこに「自分は悲劇のヒロイン」気取りな感じがしてとても嫌だ。

だけど、「成功」か「失敗」かという究極の二択であった場合、やはりこれは今の時点では「失敗」であり、


要するに私はある「失敗」をした。
 

3年前も同じような「失敗」をしているのではっきりいって学習能力がない。

ただ、3年前の時と今回は少し違う。


3年前はそれこそ「悲劇のヒロイン」で自分自身が激しく損なわれた気がして仕方がなかった。混乱して絶望して、一切の光が見えなくなった。
いつでも「消えたい」って思っていたし、今となってはどうやって毎日過ごしていたかあまり記憶がない。

ただ、どうやっても泣けなかった。
悲しいとか辛いとかそんな人間らしい感情はなくて、ただただしんどくて色々なことが面倒くさかった。


今回も同じようなことになって本当にどうしたらいいのか分からなかったし、虚しくて情けなくて仕方が無かった。
どうして自分はこんなことにならないといけなかったんだろうって、相変わらず「悲劇のヒロイン」よろしく、現状を嘆いた。
今でも何でこんなことになったんだと思うことはある。

だけど今回は自分のために泣くことが出来た。

傍からみたら本当にただの「悲劇のヒロイン」にひたってる感じでしかなかったかもしれないが、泣いたおかげか自分自身を激しく自分で落とし込んで自分を損なうようなことにならずにすんだ。


3年間ただ漫然と生きてきたけれど、全くムダという訳ではなかった。
それなりに自分の糧にできていた。

それだけでも今回の失敗の意味は大きいのかもしれない。



ただ、今回の失敗で私はもしかしたら大きなチャンス(?)を失ったのかもしれない。

だけど、3年前は真っ暗だった道にホントにかすかだけど小さな光がある。
  
     

29歳になった。

免許証の更新に行ってきた。
下ぶくれなおてもやんな写真だった・・・・。

昨日、夜遅くまで友達と散々飲んでしゃべって(愚痴って)お祝いしてもらって帰り道。

ここ最近のことを色々思い返していたら、なんだかとても虚しくて、情けなくて、涙があふれた。

どうしてうまくやれないんだろう。
どうやって頑張ったらいいんだろう。
何がいけないんだろう。
何がいけなかったんだろう。
もう嫌だ。

免許更新のあと、近くの港に行って1人おむすびを食べて、釣りをしているおじちゃんや親子をボーっと眺めながら、泣いたことを思い出して、色々考えてみた。


わからなくて悲しくて情けなくて泣きながら、でも一方でただただ自分のことしか考えていない自分にも気がついていて、どこかで泣いている自分をとても冷静に、冷めた目でみる自分がいた。

どうやったらいいのか分からないと悩んで苦しんでいるふりをする一方で、もう私は悩むことも頑張ることもやめようとしている自分がいることを私は知っている。


頑張ったとか、それってとても独りよがりで。

本当はもっと頑張れるのかもしれないのに、私はただ思うようにいかないことに一方的に疲れて、ただ単に放棄しただけなんじゃないか。

「うまくいかなかった。でも私は頑張ったのだからもう私は悪くない。」

そういう言い訳を必死に作っているだけなんじゃないか。

頑張れるのに頑張らず、その言い訳をただひたすらに並べて、自分が卑怯者だと言われないように必死なだけなんじゃないだろうか。

あぁ、そうか。
私はただ、自分が卑怯者だと言われたくないだけなんだ。

誰も言わないのに。(言う人は少なくとも1人はいるだろうけど)


私はただ、みんなに良く頑張ったね、もういいよ。って言って欲しいだけなんだ。

皆、言ってくれているのに。(言ってくれない人は少なくとも1人はいるだろうけど)



そして私は卑怯で頑張ることも途中でやめちゃって、恐らくこれからまたゼロに戻ることになるんだと思う。(マイナスからじゃありあませんように・・・)

正直ゼロに戻すまでの工程がめんどうくさくて仕方なくて物事を進められないという、これまた最低な思考回路を持ち合わせていたりする。

ちっさいな、自分。


そんなことを考えながら、この1ヶ月一体何度つぶやいたか分からない、

「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。」

という、かの有名なアニメのあの主人公の最期セリフをもう一度つぶやいた。

疲れた。
ごめんなさい。


お日様と潮風が気持ちよくて、そして哀しくて、これまでになく寂しい誕生日だった。


でも、一方で沢山の友達からお祝いの言葉やプレゼントをもらった。
こんなちっさい人間でもそのままの私を私だと認めてくれる友達がいる。

それは本当に幸せで、心から嬉しい。
201010171711000.jpg
赤ワイン☆(チーズも♪)
ハンカチタオル☆
靴下☆

本当に本当にありがとう。

だから何とか明日も生きていけます。

  
     


何をしても、どんだけ失敗しても、どんだけいい加減でも、間違ってしまっても、その全てを認めて欲しい。

自分はダメな人間じゃないんだと、生きててもいいんだと、存在していてもいいんだと。


承認して欲しい。


承認してくれる人がきっとどこかにいるんだと思っていた。


それこそ、昨日までそう思っていた。

でもそうじゃないんじゃないかと思ってきた。



何よりも先に自分が自分自身を承認するしかないのではないかと。




で、ここから先の整理ができない。

しかもそう思ったからといって、私が私を承認できている訳ではない、というのがややこしい。


というよりすっごく当たり前のことなんだよね、きっと。

  
     

夫婦って。

一番近い他人なはずなのに、なんで一番遠い他人になっちゃうんですかね。

一番近くて一番理解しあえる(もしくは理解しようとする)はずの他人なのに、なんで一番言葉が通じなくて一切の理解がなくなる、もしくは理解をしようとしなくなる他人になるんでしょうかね。

一体何を思い描いて、何を期待して、何をしてあげたくて、何をしてもらいたくて、夫婦になったんですかね。

どうして好きで愛して、しかも人によってはわざわざ誓いの言葉をみんなに表明して結婚したのに、愚痴と文句と後悔しか残らないんでしょうかね。

どこですれ違って、どこで諦めて、心が離れていくのでしょうか。

まぁみんな自分はそうはならない、というかそもそもそんな風になるなんて思ってもいないんでしょうが。
じゃないと夫婦とかなれないし。

夫婦とかやったこともない人間が、えらそうにあれこれ言えた立場じゃないのだが。


「何のために生きてるのか分からない。」

とか愚痴られてもねぇ。


「えっ何ですか?夫のために生きていたとでも?ていうかそこ見返り求めちゃう?」

「じゃ聞いちゃいますが、何のために生きたかったんですか?」


って聞きたいところだが、間違いなく地雷だし私の精神衛生上にもよろしくないし、何のために生きてるかなんてそんなこと私にだって分かるはずもないので

「しょうがないよねー。自分が選んだ人なんだし。」

と流して終了。

私はカウンセラーではないので。


何歳になっても生きにくいものなんだなぁ、と思う。


そしてやっぱり夫婦って結婚って、お互いを気にかけなくなって一方的になって自分の思いばっかりになると、一瞬で破綻するんだなと改めて感じる。


結婚すること、夫婦になること。

いつか自分が誰かとできたらいいなーと思う気持ちは、なんだかんだ言ってもやっぱりあったりする。
不思議なもので。

だけどそれ以上の恐怖があるし、自信が全く持てない。

多分するとしたらそういう考え過ぎてしまう気持ちを超えてしまう人、もしくは考えて過ぎてしまう気持ちをちゃんと聞いてくれる人。

じゃないと私は多分永遠に出来ないだろうな。


人のせいにしてはいけないけれど、自分が育ってきた環境というものは大きいなぁと思う。

反面教師になるか、生き写しになるか。

さて、どっち。

  
     

職場の上司 (事実上であり、立場上は上司ではない。複雑。) に先月言われたことがある。


「仕事は勝ち負けではないよ。」
「octobreちゃんほど他の人は深く考えられない人もいるから。」
「自分の評価軸で、他人に不満を感じてはダメだぞ!」
「でもくれぐれも自分にダメだししちゃだめだぞ!人を許せなくなるよ。」


見てくれてて分かってくれていること、認めてくれていることがとても嬉しく、一方で自分がどこにいつもつまづいているのかが見えた気がした。


もともと自分が何がしたいかとか、自分がどうしたいかとか、多分ちゃんと、どころかかなり存分にあるだろうに、自分でそれを認識できない。それに対する意識が甘い。

だからいつだって漠然としていて不安で自信がない。

自分に自信がない一方で、認識できてないだけですっごい頑固なくらいの自分の思い (自分の評価軸) があるので、他人にも同じような思いを求める。(求めていることに無自覚なのがよろしくない)

もしくはそれに対して向かってくる人間を何とかして抑え込もうとする。(要するに議論していても暗に(無意識に)相手を否定する、もしくは否定するような言い方をする)

いわゆる上司がいう勝ち負けをつけようとする。

それでいつも後で後悔して自信を無くす。

そして自分をダメだと思うし、自分が許せない。自分を許せないから他人も許せない。

で、最終的に人と関わることが嫌になる。
ここにいつもの妄想と後ろ向き志向がもれなくついてくるので最悪なループになるし、なってきたんだと思う。


だからといってこれからはむやみやたらに誰かと関わろうというつもりはないし、大切な人、私を大切にしてくれる人を大切にしていければいいと思っている。


ただ、人に対する自分のこのあんまり良くないこだわりというか捉え方のクセを意識していけば、もう少し人との関わり方が楽になるのかな、と思うこのごろ。


後は考えなしにしゃべることを気をつけること・・・・・・。

いやぁ・・厳しい。

  
     
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