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何とも後味の悪い・・・。
前作、「白夜行」の続編とも言われる作品で実際そうなんだろうと思わせる展開であり、その展開も面白いといえば面白かったけど・・・。
結局、そうまでして彼女が手に入れたかったものは何だったのだろう。
最後のクライマックス方も、すごい上り坂を頑張って登らせて、登った先の景色を散々期待させたくせに、登ってみたら見事に何にもなかった。という感じ。
もうこの人の作品を自らの手で選ぶことはないかもなー。
何だか気持ちが元気になるというか、前向きになれるとても良い本。
表現もユーモアがあり、音楽を、クラシックを本当に愛しているんだということが本当に伝わってくる。
その伝え方は全く嫌味がなく、むしろクラシック音楽を聴いてみたいと思わせてくれて、私はもともとクラシック音楽は好きだけど、好きじゃない人も聞いてもいないうちからクラシック音楽が好きになるような、そんな話。
この人が指揮者を目指してきて、指揮者になって、そして現在に至るまで。
それがこの本に記されているけれど、それは指揮者だから、というよりは、それぞれ自分達が、自分達の思う道を生きていくためにどうするべきか、どうあるべきか。
何を思って何を考えて、それに合わせて何が必要で、何が自分に足りないか。
そういった生きていく上での根底となるべきことを、とても分かりやすく、熱心に、そしてまっすぐに訴えかけてくれている。
何より、この人面白いなー、好きだなーって思う。
よい本に出会った。
11日。
トイレから戻ったら、「東北地方で地震が起きたらしいよ。」と聞いた。
こんなにも大きな被害になるんだとは当初は思ってもみなかった。
だけど、職場の同僚が携帯のワンセグで実況中継を見ていて、そのあまりの映像に言葉をなくした。
仙台には友人がいるのだが案の定全く連絡がつかず、どうすることもできない現実にただ無事であって欲しいと祈るしか出来なかった。
先ほど、その友人の無事を確認することが出来て、安心した。
しかし、沢山の人の命が失われて、沢山の人が家族や友人を失った。
救援物資、義捐金、節電・・・。
そして被災地の人達が1人でも多く生きて無事であることをを祈ること。
遠く離れた地で平穏に生きている私達にできる事は、あまりにも少ない。
だからこそ生きていることに感謝して、ちゃんと生きること。
ご飯を食べて、仕事をして、そして笑顔をもって、毎日を過ごすこと。
それが私達が出来ることであり、すべきことなんだろうと思う。
自然を前に人間は本当に無力だと思う。
だけど一方で、これまでの数々の災害や事件、時には戦争による被害に直面し、戦って乗り越えてきたのはその無力な人間。
だから、きっと大丈夫。
そう信じて希望を捨てていないのは私だけではないと思う。
ぶらりとか、さもついでに行ったかのように言ってるが、実はずっと行きたくて行くタイミングをずっと伺っていたところ。
呉のれんがどおり
→さびれっぷりが良かった。
何故そんなに呉に行きたかったか。
1.「メロンパン」のメロンパンを買いたい。
行ったら売り切れで結局呉そごうで買ったけど・・・。
買ったパンたち。
1個1個がずっしりで相当重たかった。
本命のメロンパン。
カットしたらクリームがぎっしり。
このクリームが予想以上に美味しかった。
実は他に、サンドイッチとハンバーガーとコロッケバーガーとクリームチーズパンも買っている。
写真の右端は「福住のフライケーキ」
2.福住のフライケーキが食べたい。
1個70円!
冷めても美味しい。6個も買った。
3.天明堂の鳳梨饅頭(おんらいまんとう)を買って帰りたい。
鳳梨とはパイナップルのこと。
しっとりした生地にパイナップルのジャムが絶妙なハーモニー・・・。
お店はシャッター・・・。
これも結局呉そごうで買うことに。
4.呉名物細うどんを食べたい。
1口食べた後に写真をとっていないことに気がついたため、若干見栄えが悪い。
でも麺の細さや味はかなり私の好みだった。
今度はカレーうどんを食べたい。
ちなみに横にあるのは玉子丼。かなりのボリュームで590円は安い。
5.「エーデルワイス」でのんびりお茶したい。
ここはクリームパイが有名なケーキ屋さんで2階にログハウス調のカフェコーナーがある。
クリームパイにしようかと悩んだけど、ここで無意味な自意識過剰が出てしまい、「ここでクリームパイを頼んだらいかにもすぎるのでは・・・。」と心配になり、レモンパイを注文。
生クリームの下にレモンのムースのようなものがあるのだが、本当にレモンで爽やか。
味としては私好みで美味しいのだが、どうも甘いのが強すぎるのがちょっと残念。
アールグレイとよく合ってた。
「今の日本人はね!働きすぎなんですよ!!」
と、スペインのシエスタ(お昼休み)を例にとり、いかに日本人が一日中働いているかを熱く語るおじいちゃんに、
「二ノ宮金次郎みたいにねぇ~。」
と、答えるお友達のおばあちゃん。
なぜ、そこで二ノ宮金次郎?
以上が、呉に行きたかった理由5つ。
食べることばっかりじゃん!と言われたら、「その通りです。」としか返事ができない様な旅だけど、食べること以外のことも少しだけしているので、それは次にでも。
自分で買った本。
調子が良くない時期に、色々と考えないでいいように読んでた本なので、あまり頭に残っていないが暗い話だった。
ただ、空っぽのがらんどうだと言われた側も言った側も、そして男もみんな空っぽのがらんどうで、必死にそれを埋めようとして埋め方を間違えてしまったんだろう。
でもきっと人間みんな空っぽと言うより、自分の心の中のパズルがバラバラでピースをはめることが出来なくて、空っぽのように感じるんじゃないかなーと思う。
・・・いや、完成していいないパズルなら、空っぽと一緒か。
「KAGEROU」 斎藤 智裕
あの、話題になった水嶋ヒロの処女作。
先に読んでた職場の人から「無駄な例えが多すぎる」と聞いていたけれど、確かに。
しかもその例えの意味が分からない。
題材というかテーマはとても良かっただけに、もっと深堀りできなかったのかなぁ・・・と残念。
もっと面白く出来たのではないかと。
ただ、ストーリー全体としてはもう一つだったが部分部分の登場人物のセリフは、印象に残るものもあった。
以下、ネタバレというか引用。
「『生きたくても生きていけない人のことを考えれば、命を粗末にする行為はできないはずだ』とおっしゃる方がいますが、私は正直心の中で『それは違う』と思っています。私は大東さんにはなれないし、大東さんも私にはなれないのと一緒で、生きたい人に死にたい人の気持ちは分からないだろうし、死にたい人に『とにかく生きろ』だとか、さきほど大東さんがおっしゃったように『生きてりゃきっといいことがある』といえる方の気持ちは理解しがたいはずです。」
「人間は基本的に目に見えるモノを信用する生き物だと思いますが、ガンや心臓病などの第三者が目で見て判る病気が原因で死ぬのはよくて、どうして『心が砕けた』『生きる気力がなくなってしまった』という原因で自らの命を断つことだけが非難されてしまうのかが判らないと感じるようになったんです。」
私も判らない。
だから、自らの命を絶っていいんだ、とは全く思っていない。
そんなことが起こってしまう現実がとても悲しくて、強い無力感を感じる。
だけど、それを選択してしまったことを責めることもできない。
むしろ少しでも気持ちが救われただろうか、と願わずにはいられない。
私のようにぬくぬくと生きてきた人間に、何も語る資格はない。
仲間がいる、友達がいる、恋人がいる、家族がいる。
でも、壊れていくのも、立ち上がっていくのも、落ちていくのも、前を向くのも、結局は自分自身で自分ひとり。
誰も救えないし、救わない。
それでも人は1人で生きていけない。
でも、1人。
・・・混乱してきた。
「白夜行」 東野 圭吾
数年前に(多分大学生)読んだ本を再び。
ここ数年の東野圭吾は面白くないけれど、面白い作品は時を経てもやっぱり面白い。
この頃の東野圭吾に戻って欲しい。
雪穂の心の闇も、亮司の心の闇も、果てしなく深く、そして恐ろしく暗い。暗すぎる。(暗いとか通り越して、心がない。)
お互いがお互いのかすかな光となり、その光を支えに生きている。
その光の中でしか生きられない。
でもその光があったから生きていけて、彼らは幸せだった。
犠牲はあまりにも大きすぎたけど、光があるだけいいじゃないかと思う。
時を経て読むとまた違う視点。
見つかったからよかったけど。
この前は鞄を自分で片付けたくせに鞄がない、と家をウロウロしていた時には本気で脳ドックに行こうかと思った。
風が強く吹いている 三浦しをん
久しぶりに面白いと、とてもいいストーリーだと、心から思える作品だった。
是非ご一読を。
試合に勝てばいいという訳ではなく、たとえ勝ったとしても自分自身が納得できないのであればそれは勝ちではない。
「速い」ことは必要ではあるけれど、「速い」だけでは走ることは続かない。必要なのは「強さ」だと。
それは仕事でも生活でも、生きること全てに言えるんだろうと思うし、それがこの作品が訴えたかったことだと思う。
そしてそれは孤独であり、でも決して孤独ではない。
走ることが好きななのに、自分のその気持ちを認めることが出来なかったニコチャン先輩。
どこにいても、誰といても、いつも自分が浮いている気がして、愛想ばかりがよくなって人といればいるだけ孤独を感じて心が開けないキング。
母親の幸せを誰よりも祈っているのに、母の幸せと自分の気持ちに折り合いをつけられなかったユキ。
いつも一緒にいて何をするのも一緒に生きてきた双子の弟とこれからは別の道を生きていかなければならないことに気がついたジョータ。
みんながそれぞれに必要な「強さ」とは何かを走ることで見つけようとした1年間。
自分を信じること。
他人を信じること。
1人のままで誰かとつながること。
苦しくても前に進むこと。
自分との戦いに挑む勇気を持つこと。
それが出来ても、出来なくても、それでも地球は回ってる。
だったら出来た方がずっと楽だろうと思う。
今日も走って自転車置き場へ。
今度は自転車の鍵を忘れた。
何のために、昨日雨にぬれながら自転車で帰ったのか。
朝、自転車で行くためではなかったのか。
結局ワンメーターなのにタクシーで行く羽目に。
ロッカーで着替えようとしたらストッキングを忘れていた。
後輩が予備を持っていてもらった。
履き替えた後、自分も予備を持っていたことを思い出した。
私の頭は、おかしいのかもしれない・・・。
「加害者家族」 鈴木 伸元
平成20年の犯罪件数は253万3351件。被害者家族はマスコミ取材による二次被害で心の傷が癒える間もないが、実は加害者家族も凄惨な生活を強いられる。身内の犯罪を機に失職や転居を余儀なくされるだけでなく、インターネットで誹謗中傷され、写真や個人情報まで流出される。そんな過酷な現実を受け止められず、自殺する人も多い。事件への自らの非力を嘆き激しい後悔に暮れる加害者家族も多いが、そもそも身内の犯罪を未然に防ぐには限度がある。まさに他人事ではない実態を明らかにした、衝撃の一冊。(「Book」データベースより引用)
夜、これを読んで寝たら非常に夢見が悪かった。
被害者と加害者。
色々な事件があって、色々な事情があって、色々な思いが合って、そこは当事者にしか分からない。
でもその分からないことに振り回され、傷ついて、時には隠れるように生きている家族がいる。
被害者家族の苦しみも想像できないほどの大きなものだけど、加害者家族の苦しみもまた大きなもの。
しかも被害者ではなく、加害者。
人を傷つけたもの=罰せられるべきものという法則は絶対で、それは家族にまで及んでいる。
そしてそれは絶対に抗えない。
その現実を次から次へと見せつけられた本だった。
加害者の形にも色々あるし、加害者の本当の心理は分からないけれど、きっとそこには「自分は1人」という気持ちがどこかにあるのかな、と思う。
でも加害者がしたことは全てにつながっていてそれは「自分は1人」ではないということである、ということにもし気がつくことが出来たならば、事件は起こらずにすんだものがきっと数多くあるに違いない。
難しい問題。
「ダイイング・アイ」 東野 圭吾
記憶を一部喪失した雨村槇介は、自分が死亡事故を起こした過去を知らされる。なぜ、そんな重要なことを忘れてしまったのだろう。事故の状況を調べる慎介だが、以前の自分が何を考えて行動していたのか、思い出せない。しかも、関係者が徐々に怪しい動きを見せ始める…。(「Book」データベースより)
久しぶりの東野圭吾。
推理小説自体も久しぶりで、発想も面白かったが、この人ってもう少し面白くなかったかなーと思うのは、私が歳をとったせいなのか。
「目でモノを言う。」
目力というものは確かにある。
私は最期に何を見るだろう。
最期に見たモノに何か想いを伝えることが出来るのだろうか。
1月の半ばからヘコむことがあったり、傷つくことが起きたり、落ち込むことがあったり、とてもショックなことが起きたり。
ひとつひとつは小さな出来事だけど、その割にダメージが大きかった。
気持ちの落ち込みやストレスが身体に出るタイプなので、それに合わせて腰を痛めたり膝を痛めたり、頭痛がしたり。
その度に落ち込みながらも自分を肯定的にとらえようとしたり、身体を動かしたり、自分自身の時間を有効に使おうとしたり、すぐ悪い方向へ考えるのではなく、考えたとしても最後にはなるべく前向きな気持ちを無理やりでも持つようにしたり、自分なりにあれやこれや試しながら気持ちの整理をつけるように努めていた。
そんな日々が続く中、今日は気分転換も兼ねて久しぶりに映画を見に行こうと出かけた。
その映画は1日限定上映の作品で、あらすじをみても気持ちが優しく明るくなりそうで、是非観に行こう♪と前々から決めていた。
電車から降りるととても寒くてみぞれも降ってきて、空はとても鬱々として、朝から軽い頭痛がしていたけれど、それでも私はとても楽しみにしていた。
それなのに、私は財布を忘れていた・・・。
(バスカードはあったので電車には乗れた。)
何かが一瞬でガラガラと崩れたような気がした。
バカバカしくて情けなくて、すべてがどうでもよくなった、怒りすら感じて嫌になった。
自分の馬鹿さ加減も阿呆さ加減も、考えすぎる割には実のところ何も考えていない自分の頭も、ぐちゃぐちゃで真っ黒な心も。
こんな些細なことでガラガラと崩れる自分のお粗末さ加減も。
そこからはもう自己否定と自己卑下、自己嫌悪に自信喪失のオンパレード。
だけど最終的にはそういうネガティヴラビリンスに陥ること自体にうんざりする。
崩れたものは戻らない。
独りよがりで勝手に頑張ってる気がして、ちょっとしたことにぐらぐらして、毎回毎回何かあっては嘆き、最後には自分のミスで勝手に崩れていく。
馬鹿じゃないのか。
映画は諦めて家に戻り、何も考えずにいられる本屋に行った。
全ての思考も感覚も停止して、本屋をうろついて、浮いたお金で本を買った。
それは良かったこと。
「本にお金を惜しまない」という目標とも言えないただの意思表明を年初めにしたが、職場に本棚が出来て皆が読んだオススメの本だったり不要になった本が置かれるようになった。
ビジネス本、自己啓発本、小説、新書etc・・・。
お金を惜しまなくても色々な本が読めるようになった。
ビジネス本や自己啓発本は職種にあわせた内容の本なので偏りがあるが、小説や新書は自分じゃ買わないだろう本もあってありがたく利用している。
という訳で「職場文庫」の備忘録。感想。
いまや女性の社会進出、活躍が当たり前となった日本社会。学校や職場でも優秀で元気なのは女性ばかり。もはや古い型の「女らしさ」は求められない?いや、女性上位の時代だからこそ、従来の男性とは異なる価値観、よき女性らしさを、職場や家庭に持ち込んでほしい。本書はビジネスから装い、話し方、恋愛にいたるまで、女性としての振舞い方を具体的にアドバイス。「礼状が書ける」「約束を守る」「型どおりの挨拶ができる」といったふだんの言動に、女性の生き方と品位はおのずと表われるのである。 (Amazonより引用)
当たり前のことだけど出来ていないこと、でも出来たらきっと自分にも相手にも気持ちが良いんだろうなーと思うことが書かれていて、自分の日ごろの生活や行いを反省したり、こんな風にしてみようかな、と参考にしたいところもあったけど。
でも、何だかなー。
本の売り上げは「タイトル」で決まるんだな。というのが1番の感想。
日常の行動、考えること、話すこと。
全てに対してただ「品格」を(時に無理やり)結び付けているだけだなーと思って最後は流し読み。
私は自分にあまり「品格」がないことを分かっているので、単純に気に食わなかっただけかもしれない。
「美丘」 石田衣良
美丘、きみは流れ星のように自分を削り輝き続けた…平凡な大学生活を送っていた太一の前に突然現れた問題児。大学の準ミスとつきあっていた太一は、強烈な個性と奔放な行動力をもつ美丘に急速に魅かれていく。だが障害を乗り越え結ばれたとき、太一は衝撃の事実を告げられる。彼女は治療法も特効薬もない病に冒されていたのだ。魂を燃やし尽くす気高い恋人たちを描いた涙のラブ・ストーリー。(Amazonより引用)
ドラマにもなった作品で、よくあるストーリー。
読んでいて、やはりこの作家がかもし出す雰囲気というか何というか。。
まあ、つまるところやっぱり好きじゃない。
しかしそうは言っても人気作家だけあって、最後には胸にくるものがあり、不覚にもやられてしまった感が満載。
死を前にしても美丘は、
「まだわたしが残っている。」
「わたしはどんどん壊れていく。でも、同時に新しく生まれてもいる。」
「最後にはだかになったわたしが残る。」
わたしがわたしであることを、受け入れていた。
強く信じていた。
私は、未だに私が私であることが分からなくなる。
「わたし」として生きて、大切な誰かと出会い、100%のエネルギーと意志をもって生き抜いた。
純粋に羨ましかった。
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