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「そんなことしたらバチが当たるよ。」


私に限らず、他の人も子どもの頃にそんな風に言われたことはあるだろう。



私は、この「バチが当たる」ということに、異常なまでに執着?恐怖?を抱いていた。


幼稚園の頃には、何かほんとにちょっとしたいけないこと、ずるいこととかするたびに、それを神様が見ていて、


「バチが当たったらどうしよう。」


本気で思ってた。

本気で恐れていた。


それは行為だけでなく、自分の思考、感情、妄想に対しても。


「神様は、今わたしが考えたずるいことも全部わかってるんだ、どうしよう。」

「ああ、また悪いこと考えてしまった。どうしよう。」

「こんなことやってしまった。神様は絶対に見ている、どうしよう。」



何か特別に信仰を持っているわけではないので、「神様」はあの宗教の「神様」とかじゃなくて、ただ絶対的なもの。


自分がやったことを見張られていて、考えていることは全てお見通で、そしてそれらに対してしかるべき制裁が与えられる。


中学生になっても、高校生になっても、大学生になっても、社会人になった今でも、この思い込みがずーっと根っこにあった。


私の思考、行動、感情の全てにこの前提があった。



でも、バチを当てるのは、私を見張っているのは、私に制裁を与えるのは、


「私」だった。


神様は、他の誰でもなくて「私」だった。



・・・・・・。



あれ・・・?


私、神様?


え?


あれ??



バチを与えるのも「私」

じゃあ、許すことができるのも「私」


私を見張るのも「私」

じゃあ、私を見守ることができるのも「私」


私を不幸にするのも「私」

じゃあ、私を幸せにするのも「私」



そうかー。

神様は私だったんだー。


いやー、完全に逝っちゃってるって思われそう(苦笑)






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