ただよいながら…
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「ずっと1人になりたくない」って思ってて。
でも、「1人で生きていかなければならない」って思ってて。→ ★
同時に、「母親のようになりたくない」って思ってて。
そして、「母親のようになってはいけない」って思ってて。→ ★
「母親のようになりたくない、なってはけない」って思うのは分かるんだけど、
「1人になりたくない、一人で生きていかなければならない」って、
どうしてそんなに頑なにその思い込みを握り締めているのか、
握り締めた手を放そうとしないのか、自分でも分からなかった。
ある人が言った。
「お母さんの姿を見ていたからじゃない?」
バラバラだと思っていたものが、一つになったような。
よく小説とかで使われている、「欠けていたパズルのピースが全て揃った」というか。(使われてなかったらゴメン)
不思議な感動を覚えた。
母親のいつも1人の姿、孤独な姿。
誰かと仲良くなっては、近づきすぎるのか、言い方がきつすぎるのか、
いつもトラブルを起こしていた。
その度に、平気そうにしながら、きっと深く傷ついていたんだろう。
そして傷つくことを恐れ、次第に1人になったのだろう。
いつも脅迫的に家事をこなし、イライラし、
いつも自分は我慢して(と思っている)、でも耐え切れず、
家族に爆発し、攻撃し、威圧し、支配した。
そして、いつもしんどそうだった。
いつも、楽しくなさそうだった。
いつも、生きにくそうだった。
その姿に、私は無意識に色々なことを感じ、
時に心配し、時にひどく嫌悪感を抱いていたのだろう。
あんな生き方は嫌だ。
一人ぼっちだと、あんな風になるんだ。
なんて悲しいんだろう、何て寂しいんだろう。
そして、なんと恐ろしいのだろう。
それは私が勝手に母親をそういう風に見ていたんだけど、
でもその思いが、
「1人になりたくない」という思いを強固にしていったのかもしれない。
一方で、私は母親がやっぱり大好きだった。
だからというとおかしいかもしれないが、
「母親と同じように生きていかなければならない」
と心のどこかで、思ってたんだと思う。
その思いの始まりは、
「お母さんのようになりたい」
って純粋な尊敬だったのかもしれない。
しかし、その純粋な思い、憧れは、やがて自らを自らで縛りつける、
苦しい思い込みに変わっていった。
お母さんより幸せになってはいけない。
お母さんの前で、そしてお母さんより楽しそうであってはならない。
私も「1人で全然平気」ってお母さんに見せないと。
私だけ幸せになって、私ばっかりみんなと楽しんで、
私だけがやりたいことやっていたら、みんなと遊んでいたら、
お母さんは本当に一人ぼっちになってしまう
だから、
「1人で生きていかなければ、その強さを身につけなければ」
私は、母親に自由に生きて欲しかった。
犠牲に思って欲しくなかった。
「もういつ死んでもいい」とか、
「特に生きている意味ないし」とか、
思い通りに動かない子どもに「育てた意味がない」とか、
そんなこと言われるたびに悲しくて、腹立たしくて、
私が生きていることがいけないんだと苦しくて、
「だったらさっさと死ねばいいのに。」って思って。
母親のことを心配とか言いながら、
結局自分のことしか考えていない自分の心が、嫌で嫌で嫌で仕方なかった。
「母親さえいなければこんなことは思わないのに」
もう、最後はすべて母親のせいだと思ってた。
そして、母親のようにならなければ、きっと大丈夫。
きっとうまくいく、幸せになれる。
だから「母親のようになりたたくない、なってはいけない」って。
分かっている。
全ては、私が1人で「母親」という虚像を大きく膨らまし、
とても大きな「思い込み」を築き、自分で縛り付けていただけ。
でも、見えなかったものが、見えてきた。
いまから。
ここから。
でも、「1人で生きていかなければならない」って思ってて。→ ★
同時に、「母親のようになりたくない」って思ってて。
そして、「母親のようになってはいけない」って思ってて。→ ★
「母親のようになりたくない、なってはけない」って思うのは分かるんだけど、
「1人になりたくない、一人で生きていかなければならない」って、
どうしてそんなに頑なにその思い込みを握り締めているのか、
握り締めた手を放そうとしないのか、自分でも分からなかった。
ある人が言った。
「お母さんの姿を見ていたからじゃない?」
バラバラだと思っていたものが、一つになったような。
よく小説とかで使われている、「欠けていたパズルのピースが全て揃った」というか。(使われてなかったらゴメン)
不思議な感動を覚えた。
母親のいつも1人の姿、孤独な姿。
誰かと仲良くなっては、近づきすぎるのか、言い方がきつすぎるのか、
いつもトラブルを起こしていた。
その度に、平気そうにしながら、きっと深く傷ついていたんだろう。
そして傷つくことを恐れ、次第に1人になったのだろう。
いつも脅迫的に家事をこなし、イライラし、
いつも自分は我慢して(と思っている)、でも耐え切れず、
家族に爆発し、攻撃し、威圧し、支配した。
そして、いつもしんどそうだった。
いつも、楽しくなさそうだった。
いつも、生きにくそうだった。
その姿に、私は無意識に色々なことを感じ、
時に心配し、時にひどく嫌悪感を抱いていたのだろう。
あんな生き方は嫌だ。
一人ぼっちだと、あんな風になるんだ。
なんて悲しいんだろう、何て寂しいんだろう。
そして、なんと恐ろしいのだろう。
それは私が勝手に母親をそういう風に見ていたんだけど、
でもその思いが、
「1人になりたくない」という思いを強固にしていったのかもしれない。
一方で、私は母親がやっぱり大好きだった。
だからというとおかしいかもしれないが、
「母親と同じように生きていかなければならない」
と心のどこかで、思ってたんだと思う。
その思いの始まりは、
「お母さんのようになりたい」
って純粋な尊敬だったのかもしれない。
しかし、その純粋な思い、憧れは、やがて自らを自らで縛りつける、
苦しい思い込みに変わっていった。
お母さんより幸せになってはいけない。
お母さんの前で、そしてお母さんより楽しそうであってはならない。
私も「1人で全然平気」ってお母さんに見せないと。
私だけ幸せになって、私ばっかりみんなと楽しんで、
私だけがやりたいことやっていたら、みんなと遊んでいたら、
お母さんは本当に一人ぼっちになってしまう
だから、
「1人で生きていかなければ、その強さを身につけなければ」
私は、母親に自由に生きて欲しかった。
犠牲に思って欲しくなかった。
「もういつ死んでもいい」とか、
「特に生きている意味ないし」とか、
思い通りに動かない子どもに「育てた意味がない」とか、
そんなこと言われるたびに悲しくて、腹立たしくて、
私が生きていることがいけないんだと苦しくて、
「だったらさっさと死ねばいいのに。」って思って。
母親のことを心配とか言いながら、
結局自分のことしか考えていない自分の心が、嫌で嫌で嫌で仕方なかった。
「母親さえいなければこんなことは思わないのに」
もう、最後はすべて母親のせいだと思ってた。
そして、母親のようにならなければ、きっと大丈夫。
きっとうまくいく、幸せになれる。
だから「母親のようになりたたくない、なってはいけない」って。
分かっている。
全ては、私が1人で「母親」という虚像を大きく膨らまし、
とても大きな「思い込み」を築き、自分で縛り付けていただけ。
でも、見えなかったものが、見えてきた。
いまから。
ここから。
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