ただよいながら…
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4月からの混乱した状況、自分の立場を越えて色んなことを暗に要求され応えなければならない(と思い込んでいた)状況。
7月からの激務。体力的なことはもちろんだが精神的にも追い詰められてるようで、情けないし悔しいし苦しいし辛いしで陰で涙を流すことも多々あり。
9月はいよいよ限界で、私にとって最もされたくないことを最も私が怖れている形でされて、拷問のようだった。
思い返せば恐らく私だけでなく周りもかなり限界だったんだろうと思う。
それから1ヶ月半近く。
プロジェクトのヤバさ加減は悪化の一途だが雰囲気は幾分か落ち着いている。
ようやく、友達に当時の状況だったりその時の気持ちだったりを話せるようになって何とはなしに聞いてもらった。 気持ちの整理が出来てきたんだなーと思った。
何がどうなった訳でもないけれど、何かを乗り越えたのかなと言うような不思議な感じ。
しかしこの乗り越え、決して良いことばかりでなく。
あれ以来自分の中でラインが引かれてしまっている。
目の前にある自分の仕事は一応ちゃんとやってはいるが、それ以外に関心が持てなくなったし、持たないようにするようになった。
自分の担当案件にすら関心を失っていることもある。
私はこのプロジェクトを行っている会社の人間ではない。
ただ、8年この職場に在籍し下手するとそこの会社の人間よりそこの部署のことを知っている。知っているのでそれなりのスキルもある。
それを買ってもらってプロジェクトメンバーに選んでいただいたけれど、結局のところどう頑張ったって別の会社の人間で、どんだけやっても何もとは言わないがそう何かが変わるわけでもなく、ただ自分の身や心をすり減らしている。
そして拷問のような日々を迎えて、一体私がやっていることは何なんだろうか。
では、この数ヶ月間何も得ることは無かったのか、というとそういうわけではない。
ものすごく学んだことは多かった。得たことも多かった。
この歳になって初めて社会人としてあるべき責任感、物の道理、自分の甘さを叩き込まれたと思うし、考えること、身をもって知ったことは計り知れない。
人に対して、自分に対して少しだけど寛容になれたと思う。
それはあの拷問のような日々があったから。
人生は修行だという。まさに修行だったと思う。
でも、人生は修行と言う名のもとで、あの場であれ以上のことを、私が私の(別の会社の人間という)立場でこれまで以上に頑張る必要があるのか。
現実的なこと(お金も含めて)、精神的なこと、全てを勘案しても、もういいなーと思うのが今の正直な感想。
あんな思いをしてまで頑張る必要性が見つからない。
今目の前にある仕事、お給料をもらっているという立場で果たすべき仕事をする以上に何をしろというのか。
ただ一方で、チームとしてこのプロジェクトにいる意味で考えると散々やってきて無責任じゃないか、と言う葛藤もある。
チームから今外れるのは嫌だ、最後まで見届けたいやり遂げたい、という思いもある。
でも・・・。
最近の小さな葛藤。
とりあえず、目の前の仕事。
7月からの激務。体力的なことはもちろんだが精神的にも追い詰められてるようで、情けないし悔しいし苦しいし辛いしで陰で涙を流すことも多々あり。
9月はいよいよ限界で、私にとって最もされたくないことを最も私が怖れている形でされて、拷問のようだった。
思い返せば恐らく私だけでなく周りもかなり限界だったんだろうと思う。
それから1ヶ月半近く。
プロジェクトのヤバさ加減は悪化の一途だが雰囲気は幾分か落ち着いている。
ようやく、友達に当時の状況だったりその時の気持ちだったりを話せるようになって何とはなしに聞いてもらった。 気持ちの整理が出来てきたんだなーと思った。
何がどうなった訳でもないけれど、何かを乗り越えたのかなと言うような不思議な感じ。
しかしこの乗り越え、決して良いことばかりでなく。
あれ以来自分の中でラインが引かれてしまっている。
目の前にある自分の仕事は一応ちゃんとやってはいるが、それ以外に関心が持てなくなったし、持たないようにするようになった。
自分の担当案件にすら関心を失っていることもある。
私はこのプロジェクトを行っている会社の人間ではない。
ただ、8年この職場に在籍し下手するとそこの会社の人間よりそこの部署のことを知っている。知っているのでそれなりのスキルもある。
それを買ってもらってプロジェクトメンバーに選んでいただいたけれど、結局のところどう頑張ったって別の会社の人間で、どんだけやっても何もとは言わないがそう何かが変わるわけでもなく、ただ自分の身や心をすり減らしている。
そして拷問のような日々を迎えて、一体私がやっていることは何なんだろうか。
では、この数ヶ月間何も得ることは無かったのか、というとそういうわけではない。
ものすごく学んだことは多かった。得たことも多かった。
この歳になって初めて社会人としてあるべき責任感、物の道理、自分の甘さを叩き込まれたと思うし、考えること、身をもって知ったことは計り知れない。
人に対して、自分に対して少しだけど寛容になれたと思う。
それはあの拷問のような日々があったから。
人生は修行だという。まさに修行だったと思う。
でも、人生は修行と言う名のもとで、あの場であれ以上のことを、私が私の(別の会社の人間という)立場でこれまで以上に頑張る必要があるのか。
現実的なこと(お金も含めて)、精神的なこと、全てを勘案しても、もういいなーと思うのが今の正直な感想。
あんな思いをしてまで頑張る必要性が見つからない。
今目の前にある仕事、お給料をもらっているという立場で果たすべき仕事をする以上に何をしろというのか。
ただ一方で、チームとしてこのプロジェクトにいる意味で考えると散々やってきて無責任じゃないか、と言う葛藤もある。
チームから今外れるのは嫌だ、最後まで見届けたいやり遂げたい、という思いもある。
でも・・・。
最近の小さな葛藤。
とりあえず、目の前の仕事。
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