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   ただよいながら…
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自分の「思い込み」で、現実を見て、現実を作り出していた。


そう気がついたところで、いきなり人生バラ色、虹色、ハッピーエンド☆


とかには、当然ならない。


むしろ、「思い込み」を修正しようとする自分と、
「そんな必要ない!ていうか私はおかしくない!」という自分(エゴ)との、

それはそれは壮絶なやりとり。


その時その時に沸いてくる不安や苛立ちの感情から、
自分の「思い込み」に焦点を当ててみる。

たいていの不安や苛立ちの感情の乱れのきっかけは、

・恋人
・仕事の電話相手
・仕事の人間関係
・母親と祖母

どうしても必然的に、自分に今近い恋人や仕事になるが、
本当の根っこは「母親」だ。
まだ、その根っこに向かい合う準備は出来てないように思う。


さて、感情をどんどん掘り下げていくと、必ず行きつくところがある。

「(相手を)自分の思い通りにしたい。」
「私が正しい、間違っていない。」


もちろん、相手には相手の都合やら思いやら、何より自由があるので、
当然私が望む(期待)どおりの動きにはならない。

だから、苛立ちばかりが募る。
無力感が募る。

そんな感情にばかり振り回されて疲れ果ててた。



それだけ自分の思いや感情を抑えて抑えて、
いっぱい我慢してたんだね。
よく頑張ったね。偉いね。

そう自分に語りかけて、手放して。

でも、まだ出てくる。

思考のわんこそば。
感情のところてん。

あまりの「思い通りにしたい」欲求に、呆れて笑えてくる。


「自分の思う通りにしてはいけない。」
「自分の思う通りにはならない。」
「いつも自分のことばかり考えてはいけない。」


そう思い込んで、沢山の自分の意志を、感情を、行動を抑えてきた。


だから、自分の思うように生きている人が許せなかった。
人に甘える、頼る人、考えない人が許せなかった。
自分で何とかしようと頑張らない人が許せなかった。
(全て、私の視点でそう見える人)


私は自由に生きられないのに。
私はこんなに相手のことを考えているのに。
私は誰にも甘えず、頑張ってきたのに。
私は自分の好きにすることを許されなかったのに。


素晴らしい傲慢な「思い込み」と、
その奥にあるとても大きな悲しみと、寂しさと、怒り。


私は何度も何度も、自分に語りかける。

ごめんね。
いつも外の世界にばかり捉われて、振り回されて、
苦しくて、悲しくて、気がついて欲しいって
ずっと叫んでいるのに、全然気がついてなかったね。
すごく苦しかったよね、ごめんね。
許してね。

ずっと頑張ってきてくれたね。ありがとう。
もう大丈夫だよ。
今までありがとう。本当にありがとう。
その思い込みはもう手放していいんだよ。
もうその思い込みは必要ないんだよ。
自由になっていい。
もっと自由に、もっと自分に集中して、
もっと自分勝手に生きていい。
本当にありがとう。


何度も何度も手放して、何度も何度も戻ってくる。
戻るたびに、落ち込む。くじけそうになる。

それでも、螺旋階段みたい。

同じところをグルグル周っているように見えるけど、
少しずつ、上に進んでる。

そう信じている。



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私のこれまでの人生は、思い込み100%だった。


「~じゃないといけない。」
「~しないといけない。」
「~じゃないと嫌われる。」
「~じゃないと愛されない。」
「~だからダメなんだ。」
「~だから~となるはずだ。」


これを、自分はもちろん他人にもあてはめるので、もう苦しいばかり。


私の場合、この「思い込み」のきっかけは、母親の影響が大きい。

例えば母親は、汚すことだったり、私がベラベラとしゃべること、家族を優先しないこと、その他も色々母親のマイルールを外れることに、非常に怒りを示す人だった。

そして、

「自分の思い通りになると思うな。」
「調子に乗るな。」
「そんなことしたら、人から嫌われる。」

それが子どもの頃、母が私によく言うセリフだった。


私は母の怒りが本当に怖くて、いつの間にか、怒られないために、より愛してもらうために、

「汚したらダメ」
「しゃべりすぎると嫌われる」
「~時までに帰らないといけない」
「浮かれすぎてはいけない」
「遊びすぎてはいけない」
「私と本当に会いたいとか遊びたいと思う人は実はいない」
「人に頼ったり甘えてはいけない」
などなど。

挙げたらキリがないくらいの「思い込み」を作りあげた。


確かに自分で生きることが出来ない子どもの頃は、
そうするしかないこともあっただろう。


だけど、自分で生きることが出来るようになっても、
それら沢山の「思い込み」を持ち続けることを選択したのは、

他の誰でもなく、自分だった。


母のせいでもなく、
恋人のせいでもなく、
友達のせいでもなく、
仕事のせいでもなく、
世の中のせいでもなく、
教育のせいでもなく、

私だった。


私が、私を、自分の「思い込み」で、苦しめていた。
私が、私を、許さなかった。


認めて欲しい。
愛して欲しい。

ずーっとあったその思い。


私を認めてないのも、私を愛していないのも、

私だった。


でも、「思い込み」は気がついたときから「思い込み」じゃなくなる。

とても根深い「思い込み」だけど。

修正できる。


そう信じられる今が、幸せだと思う。



  
     
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