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「少年のようなしなやかな背中をしている。」
デパートのビューティカウンターに行けば、
「とても30代の肌とは思えない、綺麗な肌をしている。」
テニスに行けば、
「敏捷性に優れているのは、ふくらはぎの筋肉の付き方がいいからだ。」
とまあ、色々と褒められるらしい。
健康の話になれば、
「筋肉質だから、体脂肪も中性脂肪も少ないの。」
ダイエットの話になれば、
「私はダイエットなんてしなくていいの。そんなにお菓子も食べないし、そもそもそんなに体重変動しないし、スタイルもずっと変わらないし。」
とまあ、健康でスタイルのいい身体らしい。
家族の話になれば、
「うちのお父さんはね・・・。」
「うちのお母さんはね・・・。」
「うちのお兄ちゃんはね・・・。」
とまあ、一度も会ったことはないが家族全員優れているらしい。
「うちの〇〇ちゃんはね・・。」
〇〇ちゃんは、貴方の姪であって貴方の子どもではない。
そう突っ込みたいのは私だけだろうか。
仕事が出来て頭もとても良く、優しいしとても常識人な人なのですが、
こういう話が続くと、
「さて、どうやって違う話に持っていくか。」
ということで頭がいっぱいになる。
そしてこの前、
「友達がテニスのスコートを買ったんだけどね、クルム伊達公子も着てたスコート。
でもあれね、伊達公子みたいに鍛え上げた人が着てたら違和感ないんだけど、
私達みたいに細くて華奢な人が着たら、
可愛すぎて逆にいやらしいよねー!
って話になってねー。」
「・・・・・。」
「へえ、そうなんですかー。
でもいいじゃないですかぁ、スコートって可愛いイメージだし。」
(ああ、大人になってしまったんだなあ。。ダークだわぁ、大人って。)
一瞬固まってしまいながらも、瞬時にそう返答できた自分に軽く凹む。
まあ、何が困るって。
そんなに自分のことすごいとかキレイとか遠まわしに時には直接的に言ってるのに、全然すごいとも羨ましいとも思わないこの正直すぎる自分の感覚。
いや、捻くれてるのか。
何故か父親まではまってました。
剣心かっこいい。
少年漫画の面白さを思い出し、「ドラゴンボール」がみたくなり、youtubeで散々楽しみました。
べジータかなりいい。
ドラゴンボールGTで、髪が少し短くなった姿はかなりヒットです。
大河ドラマの「篤姫」は、友達の約束を断る、もしくは終わってから会う位毎回欠かさず見てますが、とうとう14代将軍家茂が死んでしまいました。
「わたしは、何かを成し遂げたといえるのであろうか。」
って!もう十分ですから!!あんたは本当によくやった(号泣)
金曜日から始まったドラマ「ギラギラ」
やっぱり佐々木蔵之介は最高だと思う。
母は大泉洋と結婚しろというが、私は佐々木蔵之介と結婚したい。
こんなんでも27歳なんですね。
結構平和ですね。
それでも色々悩んだり考えたりはしてるんです。
27歳になりました。
いやあ・・・27歳ですよ。想像できない。
って、もう27歳だけど。
昔から27歳の自分は想像できなかったけど、27歳になった今も全く想像できない。
というか、
「ごめんなさい、こんなんでも27歳らしいです、どうも。。。」
って感じです。
何故か、この1年。年齢を聞かれるたびに、
「今年で27歳です。」
と言ってたせいか感覚的に26歳通り越して27歳だったので、27歳になった今は逆に
「あれ?また27歳?ありーー?」
という、また27歳になれて得したのか、去年友人に「実りある26歳になるといいね。」って言われたのに全然実ってないどころか、26歳だって認識もあんまりありませんでした、ごめんなさい。なんてことなのか、よく分からない。
まあ、26歳だろうが27歳だろうが、どうも生きてるみたいです。
flotter フランス語で「ただよう」 ですが、いまだにただよってます。
25歳の1年はツライ・苦しいばっかりでした。
26歳だったこの1年は、うーん・・・。なんだったんでしょうね。
何というか人生の段階を感じる歳でした。
周りの友人、知人がどんどん結婚したり出産したり。
自分がただよっている間に回りはどんどん人生の次の段階に進んでいっている。
生きる道がそれぞれ別の方向を向くようになっている。
だからといって友達じゃなくなるわけではないし、友達というものはこうだからこう、といった型にはまる様なものではない。
だけど、次の段階に進んでいった人とそうでない自分。
焦っているとひと言で片付けられればそれまでですが。
どちらが良いとか悪いではなくて。それぞれ生きる先で学ぶことや得ることは必ずあって、それは経験であり財産。
だけど生きる視点が変わる。見るものや捉えるものは変わる。
関係は変化する。
その変化を誰も止めることも、責めることも出来ない。
それはきっともうどうしようもない事実で現実。
淋しくても悲しくても、そういう現実を私は受けれなければならない。
いつか私も人生の次の段階に行くのかもしれない。行ければいいと願う。
だけど、例えどれだけ望んでも行けれないかもしれない。
どちらにしても、その人生を受け入れられる心の余裕が欲しいと思う。
27歳。
とりあえず、スパークリングワインをフルボトルで乾杯。
怖かった。
白昼堂々、ストーカーらしきものに初めて遭遇した。
自意識過剰かもしれない、被害妄想かもしれない、
だけどとても怖かった。
友達と夕方から約束で、少し早めに出ようと2時間ほど早めに家を出た。
とてもお天気がよかったので、本でも読もうと思って公園のベンチで読書。
1時間ほど本読んだり、ボーっとして・・。
母親に家電量販店で、おつかいを頼まれていたのでそろそろ行こうと歩いてたら、斜め後ろに男の人が。
「ああ、さっき向かいのベンチにいた人だ。」
公園から街の中心に行く道は決まっているので全く気にもせず。
男の人も、私を少し追い越して左に曲がろうとしていて、私は右へ。
そのままのらりくらりと歩いていたら、さっきの男の人が斜め後ろにいた。
なんかおかしい。
「いや、自意識過剰だって。バカじゃないの、自分。」
「被害妄想も大概にしなって。」
自分に言い聞かせてみるけど、自意識過剰ゆえ気になる。
だって、私が左側歩くと彼も左側、右側歩くと右側歩くし。
「いやいやいや。こんな白昼堂々ないって。」
一人自分に突っ込んでみるけど、被害妄想家なので気持ち悪い。
走って逃げようかと思ったけど、本当に方向が一緒なだけかもしれないし。
そのまま家電量販店へ。
ヤツも来た。
「おいおいおいおい・・・・。」
「いやいや、きっとデジカメとかパソコンとか見に来たに違いないし。うん。」
一生懸命自分に言い聞かせて、頼まれてた掃除機のフィルターを買いに掃除機のコーナーがある階へ。
デジカメの階は1階。
PCの階は5階。
そしてここは3階。
ヤツは来た。
果たして。
私と同年代位で、そして恐らく独り身であろう男が、掃除機コーナーに用があるか?
掃除機が壊れたとでも言うのか?
だったら、何故公園のベンチで何もせずボーっと座っていた?
私と同じタイミングで席を立ち、店に来て、掃除機コーナーに来る。
そんな偶然があるか?
無い。
あってたまるか。
絶対この人おかしい!
ていうかかなり怖い!!!
どうしよう。
頼まれていた商品はすぐあったのだけど、時間をかけて選んでるフリをしてみたら、横を通り過ぎて隣のコーナーにヤツは動いた。
ちょっと振り返ってみた。
目が合った。こっち見てるよ。
本当に怖いんですけど!!!
軽く頭パニック。
しかし、同時に、
「何であんな変なカバンもってるんだろう。」
なんて冷静に考えてる自分もいたりする。
ちょっと小太りで背は170cm強、ハンチング帽をかぶって、普通にロンTを着てチノパンだかカーゴパンツだか履いて、カバンを肩から提げてる。
そこいらに普通にいる、そういう格好が好きそうな男。
って、冷静に観察してる場合じゃない。
自意識過剰かもしれない。
被害妄想かもしれない。
本当にただの偶然なのかもしれない。
でも、かなり怖い!
逃げなければ。
会計を済まして、微妙にヤツとの距離があいたのを見計らってダッシュで階段を駆け上がって女子トイレへ。
心臓がドキドキしてる。
このままエスカレーターを使って待ち伏せされてたら怖いので、エレベーターを使って地下に降りてそのまま地下街へ。
しばらく様子を伺いながら歩いていたが、ヤツはいない。
ようやく安心したけれど、心臓の動機はしばらくおさまらなかった。
怖かった。
何なんだ、もう。
何がしたかったんだろう。
以前、犯罪まがいのメールをよこした男もハンチング帽をかぶっていた。
そして今日のおかしな男もハンチング帽をかぶってた。
次もしおかしなことがあって、そいつもハンチング帽をかぶっていたら、私はもう一生ハンチング帽をかぶる男を信用しない。
偏見だというのは百も承知。
「私、思ったんよね。octobreは結婚しないんだろうな。って」
そうか、私。結婚できないんだ。
結構ショックだったんだけど、友人の、
「だって現実的すぎる。」
という言葉に、
ああ、そうなんだ。出来ないんだ。
静かに受け止めてしまった私に逆に友達が動揺していた。
「もっと、”いや、するもん!!”とかいって反論してよ!!」
何なんだ、一体。
確かに特にこれといってやる気はないけど、
希望も夢もなく、人に誇れるようなことは何もしていないけど、
生きる意味も、今生きてる意味も分からないけど、
いつも受身で自分から動くことも殆どないけど、
だからといって人生諦めてる訳でも人生捨てたつもりもない。
そんなに私は可哀想なのか?
一体、
私は
何なんだ?
ただ、きっと友達が言った「現実的すぎる」という言葉は真実なんだろう。
自分にこの仕事は向いてないんじゃないかと。
仕事が出来ない訳ではないと思う。
単純に能力だけで見れば、今の仕事で必要なことは吸収してきたし、相変わらずうっかりだけどちゃんとこなせていると思う。
それなりに成長はしたんじゃないかと。
だけど、仕事をしながら思う。
何というかやっぱり向いていないのかな、と。
仕事をする上で、社会人として、人間として、欠落してる。
プロ意識だったり、責任感だったり、親切心だったり、自制心だったり。
だからといって辞めたいとか、こんなことがやりたいとか、自分にはもっと向いている仕事があるハズ!なんてそんな野望めいた気持ちがある訳でもない。
何だかな。
そんなニュースが以前流れてましたが。
いつバブルだったん?
って感じですが・・・。
今日、Yahoo!ファイナンス見たら、1ユーロ=138円。
138円て・・・。
ああ、私がパリに行った12月-1月はなんだったのか?
1ユーロ=163円。チャージを含むと167円くらいだった・・。
あれがバブルだったのか?
あれが?
なんて微妙なバブル!
ていうか、はじけるならもっと早くはじけようよ!
それにしても、株価もドルも、ポンドも豪ドルも「どんどん下がっちゃってますが、
だからといって円の価値が上がってるわけではない、
というところが何というか・・・、
何というかですね。
8年・・・。
よく続いてるなあ。
中学校3年生の時にバレエに出会って、それからずっと頭の中はバレエばっかりだった。バレエに勝るものはなかった。
習い始めてからは、色々なパ(バレエの踊りの基本となるステップとかのこと)を覚えるのに必死で、上手な人のレッスン姿にあこがれて、食い入るように見つめて、バレエの雑誌や本や、ビデオをたくさんみて、毎日バレエだった。週に5回は行ってた時もあった。
それから8年。
気が付けば、大人のクラスじゃかなりベテラン。
もちろん、基本的なパは出来ても、ただ出来ているだけでそれが完成されているわけじゃない。
もっとつま先を伸ばさないといけないし、甲をだして、ひざを伸ばして、関節から脚を外に開いて。
探求すべきところはたくさんある。
8年前、5年前にはわからなかった事、つかめなかった身体の感覚が、何となくつかめるようになったりしてる今。(つかめないことの方がまだ多いけど)
それは続けてきたからこそ分かったこと。
ただ。
発表会に出て、パリにバレエを観に行って、やりたいことは色々とやってきて、昔ほどのバレエへの気持ちが正直なくなっている。
というよりバレエへ行くことが完全に日常化してしまっている。
新鮮さや熱心さ、感動といったものが薄れている。
それがちょっと淋しい。
ただやっぱりバレエで得たものは大きい。
続けてきた意味は確かにあった。
しかしこれから。
これからも、きっとバレエは続けていくだろうと思う。
だけど、バレエとどう向き合っていくのか。
わからない。
04 | 2025/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
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