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後輩がたくさん貸してくれたんです。
久々に本漬けの毎日です。
「デッドエンドの思い出」 よしもとばなな
短編集です。
「おかあさーん!」
「デッドエンドの思い出」
のお話がすごく好きです。
「デッドエンドの思い出」は、よしもとばなな自身、
「これが書けたので、小説家になってよかったと思います」
というほどですが、
確かに、そう話す以上のものだと思いました。
よしもとばななの作品を、そう多く読んでいる訳でもないですが、
彼女の作品はいつもどこがどうとは言いがたいんだけれど、
いつも心に残るものが多く、時を経て再び読みたくなる作品が多いです。
今回、ひさしぶりに彼女の作品を読んで、
なんとなく惹かれる理由が分かったような気がしました。
彼女の作品の登場人物は、多くがどこが空気がふんわりとしていて、
彷徨って所在無く、頼りない感じがするし、ストーリーもどこかとらえどころのない
イメージで展開していくように見えるし、実際そんな感じなんだけれども、
だけど本当はものすごく地に足がついてたりしてて、現実的で、
自分の大事なもの、人、感覚、感情といった自分自身を構成する
すべてをつかんでる、もしくはつかむ姿に、
羨ましさと、自分ひとり取り残されたような孤独感や寂しさと、
小さな期待と希望を私はずっと感じているのかもしれないな。
と、今回の作品を読んでいく中で思いました。
「体があって、ここにいて、空を見ている私。私のいる空間。」
夏も終わりに近づいてきました。
ついこの間、大黒摩希の「夏が来る」を熱唱していたはずなのに。
頑張ってなくても夏はやってきましたが。
早いです。1年なんて気がつけば残すところあと3分の1だし。
相変わらずただよってますが、8月は毎年1年の中でも調子が比較的良い月なので(当社比)、それなりに平和に過ごせたんではないかと思います。
今年は猛暑もいいとこって感じでしたが、今はもう夜は蝉よりも鈴虫の鳴き声が聞こえてきて、クーラーをつける時間も減りました。
虫の鳴き声は季節を感じられて良いものです。
比べる方が間違ってるんですが…。
私自身、感情で生きている人間なので、その分よくプンプン怒ります。
(声も態度もでかいので、怒ってないのに怒ってると誤解されることもありますが。)
ただ、私の日常でプンプンだしている怒りは、本当にプンプンのレベルで、
しかも怒ってもその時だけで、基本すぐに忘れます。
何に怒っていたのかすら忘れます。
ええ、単純なんです。
だから私の怒りは火に例えるなら、「チャッカマン」です。
その場でボッとついて、すぐ消えます。
ついた火が広まることもそうそうないです。
だけど、職場のとある人の怒りは、マグマです。
しかも地底を確実にゆっくり広がり流れている地底マグマです。
見た目にはわかりませんが、地表はめちゃくちゃ熱いです。
熱いとかいうレベルこえてますけど。
マグマはたまに地表に出てきますが、めったなことでは出てきませんでした。
しかし、最近地底でくすぶるのに飽きたのでしょうか、
しょっちゅう地表に出てくるようになりました。
もう、めちゃくちゃ熱いです。熱いなんてもんじゃないです。
すっごく怖いです。
私は、幸いなことに鈍感なのか、あまり爆発の火の粉は降ってこないのですが、
ちょっと逃げ遅れた人は、直接火を浴びることはないですが、
猛烈な熱さと恐怖をあびちゃってます。
地底マグマが地中深くまで潜ってくれることを祈る日々です。
四国銘菓「一六タルト」より
一六タルトキューピー
友達がお土産にくれました。
キャラクターものには基本ほとんど興味も愛着もないですが、
ふとしたきっかけでご当地キューピーを買って以来、
なぜか心惹かれ、携帯にぶら下げているうちに、
何かと周りの人が買ってきてくれるようになりました。
本当にありがとうございます。
だいぶ集まったりして、ひと時のような熱は冷めましたが
どうしても欲しかった「一六タルトキューピー」
念願かなって手に入りました。
可愛い。。。
これでキューピーに思い残すことはございません。
満足です。
それにしても、キューピーも全国津々浦々忙しいことです。
ちなみに個人的には、食べ物は一六タルトより坊ちゃん団子の方が好きです。
開園した年に1度いったきりなので実に6年ぶり。
雷のせいでJR止まったり小さなトラブルもあったりしましたが
はしゃいで笑って、久々の遊園地を満喫しました。
←パレードで踊るエルモ。
人間サイズでしかも海パン。
エルモは小さい方がいいと思う。
こちらはエルモのシュークリーム→
エルモ、おいしかった。
さて、今回のUSJは今秋結婚して県外に行く友人と、一緒に独身最後の旅(日帰りだけど)ということで、お休みをとって一緒に行きました。
彼女は、私がずっと欲しかった、「いつも仲良くて一緒にいる友達」となった初めての子でした。
中学校、高校といつもよくしゃべって目立つ存在でしたが、実のところ個人個人とはうまくコミュニケーションがとれず、自分が思うようなその子と1対1の個人的な友情関係、「いつも仲良くて一緒にいる友達」がすごく欲しいのに、作り方がわからず、いつも人知れず悩んでました。
今思えば、被害者意識過剰・自意識過剰すぎたのと、人との距離間がうまくつかめなかったのも原因だったように思いますが。
彼女はごくごく普通の女の子です。普通というと、「じゃあ普通って何?」ってなりますが・・・。
私は彼女のその「普通」から色々なことを教えてもらいました。
流行の服やショップ、音楽や恋の話などなど。
彼女といて、いつも私の方が彼女をひっぱっていると見ている人は多かったと思いますが、
彼女の方がとてもシンプルで地に足がついていて、周りに流されることもなく、
自分の好きなことや人、物がわかっている子でした。
いつも人と一緒にいると、あれこれ考えすぎてうまくコミュニケーションがとれない私に対しても、
どうっていうこともなく、ただ普通に一緒にいてくれる子でした。
私は初めて「一緒にいる友達」が出来て、
以前ほど「友達」という存在に臆病にならなくなった4年間だったように思います。
基本的には考え方も生き方も違う2人で、今は大学も卒業しそれぞれの道を生きていますが、
彼女と出会えたことはとても大きな必然であり、感謝すべきことだと実感した1日でした。
人は鏡を見るとき、自分の都合のいいように見ます。
見ているというよりも、脳が認識してます。
結構、都合の悪いところは見ているようで見てません。
脳が勝手に排除してくれてます。
たぶん、知覚心理学とか詳しいところから言わせたら
間違ったこといってるかもしれませんが、
そこはスルーしてください。許してください。
とりあえず、私は鏡に対してそういう認識を持っていて、
都合のいいように見ている訳です。
しかし、お盆休みが終わって2週間以上ぶりにバレエに言った今日、
脳の認識能力といいますか、排除能力といいますか、
限界ってものがあるんだということを知りました。
鏡に写っている事実を曲げることにも限界があるようです。
どう見ても、ゆるんでる。
どう見ても、肉がついてる。
どう見ても、首が前に言って肩が丸くなってる。
どう見ても、見苦しい。
さて、元に戻すことができるでしょうか。。
Windows98やMeに対する、マイクロソフトのサポートが7月11日をもって終了してました。
6月に晴れてPCを購入した私としては、別にどうでもいいお話。
しかし、すぐそばにどうでもよくない人がいました。
弟、20歳。かなり遊び盛り。
皮膚がん予備軍。(+肝臓がん・肺がん)
男の子で、ゲームとか好きなのに、結構機械オンチで、
車にオーディオつけるときも、
「ネジがどこにどうつくんか分からん!」
と本気で悪戦苦闘するような弟。
そういえば昔、誕生日やクリスマスごとに、弟が買ってもらったLEGOのお城とかを、
なぜか全部私が作ってたなあ、興味ないのに。
そんな彼が、人から譲りうけたPCにネットをつなごうと
LANボードと、LANケーブルを買って、(私に教えてもらって)
がんばってPC解体してLANボード設置して、(そうは言っても私がかなり手伝って)
さて、インストールしようかと見てみたら、
できない。
彼が人から譲り受けたPC。
Windows Me
・・・光フレッツもマイクロソフトにあわせて、つなげなくなってました。
PCを壊された私としては、そう簡単に「PC使っていいよ!」とは言えず、
だからといって、買ってやるお金もなく、理由もない訳ですが、
なんだか可哀相で、なんとかしてやりたいとか思ってしまって
最近はずいぶん弟バカになったなあ、と思うこのごろ。
でも、しないけどね。
弟は可愛いけど、ここで甘やかすわけにはいきません。
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